久々にゴダールの60年代の映画を

十三の第七藝術劇場で開催されている「BOW 30th 映画祭 in OSAKA」にてゴダールの「ウイークエンド」を観る。この作品はかれこれ20年以上前にどういう上映形式だったかすっかりわすれてしまったけれど(ビデオでなくフィルム上映で観たのは確か)観たことがあって、長い間、これは“停滞”に関する映画だと思い込んでいたのだけど、今回見直して、後半が結構ショッキングな展開だったのにちょっと驚いた(だって、カニバリズムだもんなぁ)。
この後半のことをすっかり忘れていたのは、前半の“停滞”を表す、有名な道路の渋滞シーンがあまりにも印象的だからだろう。なにしろ、300メートル、54台にものぼる渋滞状態を延々と長まわしの移動撮影でとらえているのだ。そこではクラクションがひっきりなしに鳴って、いらいらしている人もいれば悠長に待つことにして、前の車に乗っている子供とキャッチボールをしたり、車を降りてゲームをしたりしている人までいて、でも主人公のミレイユ・ダルクとジャン・ヤンヌの車がずるをして割り込もうとすると人々は怒って、彼らを決して割り込ませない。結局、ミレイユ・ダルクとジャン・ヤンヌはずっとずるをして、反対車線を走って、それをカメラがおっていき、渋滞の先にはぺしゃんこになった数台の車とごろりと転がっている死体があって、二人の車はそこをさっさと通り過ぎると右手に曲がって横道を疾走していく。
でもって、二人の車が街中を曲がってトラクターとすれ違う。カメラは二人のほうしかうつしていないけれど激しい音がして、次の画面では若い男性が車の中で血まみれになっていて衝突したらしい。女が降りてきてトラクターの運転手をののしり、女と運転手が口げんかを始め、その間、近くに居た人々の顔のアップが何度も挿入されて、車を出そうとするミレイユ・ダルクとジャン・ヤンヌに知らん顔していくつもりかと女と運転手が詰め寄り、無視されると二人は同士となって肩を組むばかばかしさ。さらに偽の記念写真だったか、なんだかそんな文字がはさまれて、そこに居合わせた人々が記念撮影風に何事も無かったかのように一緒に映し出される。そのぬけぬけとしたギャグセンスが最高に面白い。
“停滞”の映画というのは、“渋滞シーン”のほかにも、ミレイユ・ダルクとジャン・ヤンヌの目的が一向にうまく進まない展開ゆえでもある。私事になるけど、私がよくみる夢というのはいつもこのパターンで、行かないといけないところになかなか行けなかったり、そこへ行くために用意しなくてはいけないものをなかなか用意できなかったりするというものがやたら多い。もしや、若き日に観たこの映画が思った以上に意識下に潜入していたとか・・・
ともあれ、すっかり記憶から消えていた後半の展開は“停滞”というよりは“迷宮”と表すほうがふさわしい。これが結構怖かった。’80年代に観たときは多分、ゴダールはラストに“御伽噺”という言葉を使っているけど、そんな風な目で見ていたのかもしれない(ので記憶からすっぽり落ちてしまっていたのかもしれない)。でも、今はもっとリアルな感じで迫ってきて、現実に思いをはせ、妙に気分が悪くなってくる。
それにしても森の中でドラムを叩いて、そのビートに合わせて発せられる政治的アジテーション(?)の響きが持つ格好よさといったらどうだ!


悪趣味ともいえる残虐さと、猛烈にユーモラスなギャクセンス、久々に映画観てぐったり疲れた。上映が終わった映画館全体がぐったりといった感じだったなぁ。