文庫本における解説の有無について。

ヌーヴェル・ヴァーグといえば、最近、“ジャン・リユック・ゴダール”の名前が結構重要な要素として出てくる小説を立て続けに読みました。一冊は伊坂幸太郎の「重力ピエロ」で、“「俺はゴダールが好きだよ」春は甘い果実を齧ったように、顔をほころばせた。そして、「右側に気をつけろ!」と大声を出した”なんていうセンテンスが出てきます。で、もう一冊は村上春樹の「アフターダーク」で、「アルファヴィル」という名前のラブホテルが登場してきます。
伊坂幸太郎は読むのは初めてだったのですが(「アヒルと鴨のコインロッカー」は家にあるんですが…)、これはかなり面白かったです。
前半の不穏な雰囲気。何が起こるかわからない展開、中盤になって、ある程度展開が読めてきても、様々な引用や小さな謎が次から次へと提示されてぐいぐいひっぱられます。そして全般に渡って様々なエピソードを重ねて親子の絆を描き出し、ラストに誰にもノーと言わさないとでもいうような力強さでおしきってくる様は圧巻の一言でした。
一方、村上春樹の方は、今回、村上作品で初めて面白いと感じることが出来ました。もう長い間村上作品は読まなくなっていたので、この表現は正しいと言えるものではないかもしれませんが。
この2冊とも、ここ数ヶ月の間に文庫化されたものです。村上作品は、文庫化されても解説はついてないと聞いています(確認したわけではありませんので、思い違いの可能性もありますが)。「アフターダーク」には解説がありません。一方、「重力ピエロ」の方には北上次郎氏が解説を書いています。
文庫本のお得感というのは、(1)値段が安い (2) 場所をとらない (3)解説がついている というものであるとずっと思ってきました。でも、最近、この(3)に関しては必要だろうか??と思い始めているのです。

この2冊を読む前に、山本ナオコーラの「人のセックスを笑うな」という文藝賞受賞作品が文庫化されたので、読んでみたのですが、作品自体はそれなりにセンスの感じられるよい作品だったのですが、高橋源一郎の解説が鮮やかすぎて、小説よりもこっちの方が面白く感じられたりしたのですね。
同じように「重力ピエロ」の北上次郎の解説も見事な書評となっていて、全ていいつくされてしまって、こっちは出る幕がないような、読み終わってあれこれ考える必要もないようなそんな気分になってしまったのでした。
つまりあまりにもレベルの高い書評が載っていると、余韻にひたれない。かといって、何言っとるんじゃ、こりゃ、みたいな的外れな解説も困る、となると村上春樹舞城王太郎のように解説なし、という方が本当はよいのではないか、と思い始めているというわけなのです。