「ラストデイズ」

遅ればせながら、吉澤ひとみさん、お誕生日おめでとうございます!
え〜っと、吉澤さんが最近ニルヴァーナを聴いていると知り、ガス・ヴァン・サント監督の映画「ラストデイズ」を観にいってきました。
ニルヴァーナ」のボーカリストであり、1994年に自らの手で命を絶ったミュージシャン、カート・コバーン。本作は、彼が生前に残した書物をもとに、その最期の数日間に想いを巡らせてガス・ヴァン・サントが創作した物語。
ガス・ヴァン・サントの前作「エレファント」がそうだったようにこの作品もまた、物語の時間が、微妙に交錯して描かれている。「エレファント」は、1999年のコロラド州コロンバイン高校の銃乱射事件を描いた作品で、ガス・ヴァン・サントは後に犠牲者となる生徒たちの何気ない行動=ただ、廊下で友人と会話するというような=を繰り返し、角度を変え、主体を変えて淡々と描いて見せた。繰り返すことで本来なら日常の取るに足りない行動、誰も気に止めなかっただろうシーンが、大きな意味あるものとなってしまう悲劇性を描いていて、じわじわとその残酷さが伝わってくる作品となっていた。
「ラストデイズ」も、また、同じように、一度観たことのあるシーンが出てきて、それが、角度を変え、主体を変えて描かれる。けれど、同じ手法が使われていても「エレファント」とは全く違った作品になっているように思う。「エレファント」の繰り返しが、名もない若者を悲劇の犠牲者としてクローズアップさせたのに対して、こちらの方は、多くを描くという目的があるように思えた。繰り返さなくても、高名なミュージシャンの最後の数日間というだけで、それは最初から実に大きな意味のあるものであるわけだし、寧ろ、この繰り返しというのは、まさに文字通りの最後の数日間というものを描くための試みであって、直接カート・コバーンに関係のない事柄も、人間も、全部ひっくるめて映像化すること、カート・コバーンが生きていた最後の数日間を映像として、作り上げ残すことのための意志であるように思える。
なんだか漠然としたわかりにくい説明しか書けないけれど、なんだか、わさわさと時間が過ぎ、異様ともいえる多くの人間が、周辺をいったりきたりして、でもその間を決して、交わらないで動いているコバーン(最も、映画の役名はブレイクだが)を観ていると、言葉による説明もなにもなくても、分かり易いストーリーが皆無でも、なんだか一杯感じることが出来るんである。って最後までわかりにくくてごめんなさい。