「輪廻」と「有頂天ホテル」を観たよ〜。

1月27日は、この日で上映が終わってしまうということで清水崇のホラー映画「輪廻」を友達と観にいってきました。怖い場面はあんまりなかったけど、脚本がよく出来ていて、見終わったあと顔見合わせて面白かった〜と思わず声が揃ってしまいましたよ。さらに昨日は、某家族と一緒に「有頂天ホテル」を観てきました。ごっちん出演の「音楽戦士」を観るためにAM3:00くらいまで起きていて、さらに「ハロモニ」を観るために朝6:00に起きたこともあって、きっと寝てしまう!と確信していたのですが、軽妙な洒落た展開に引き込まれてうとうとすることもなく夢中で見てしまいました。
いつも大概、私は映画は一人で見に行く主義なんですが(だって、人といくと思いっきり泣いたりできないじゃないですか)、いわゆる「お祭り映画」には誰か誘って行くことにしています。「お祭り映画」というのは何か?というと、非常に漠然としてるんですけど、一人で味わうよりは大勢で見に行って、終わったあともそのことでわいわいしたい映画っていうのがありますでしょ。例えば石川忠司は「現代小説のレッスン」(講談社現代新書)の中で次のように書いてます。

そもそも怪談の魅力とは一体何か。ゾッとする物語自体が面白いのはもちろん、しかし怪談の真の醍醐味とは、当のゾッとする物語を複数の人間が寄り集まり、互いに膝を突き合わせて語り合う流儀の親密感の方にこそあるのではないか。そこで発生するあの穏やかな交歓の方こそにあるのではないか。怪談とはまずもって友愛のジャンルにほかならない。

ホラー映画っていうのはそういう意味でもまさに「お祭り映画」だと思います。私たちは、まあ、びくっとするシーンも一つあったかなかったかくらいでしたが、後ろの女子高生たちがやたらと怖がっていて、普通の映画だったら人の咳が聞こえてもいやだけど、こういう「お祭り映画」では、寧ろそういう声が聞こえてくるのはまったく悪くないんですね。また、一方で、同じように終始、映画館が笑いに包まれて、なんだか連帯感が生まれたような雰囲気に包まれた「有頂天ホテル」。「ウオーターボーイズ」の笑いで揺れたような映画館のあの雰囲気を思い出しました。みんなが笑顔で劇場をあとにするその至福感。「お祭り映画」の顔をしていながら裏切られたりする作品も多い中、両作品とも見事な「お祭り映画」となりえていたと思います。