「野ブタ。をプロデュース」(白岩玄/河出書房新社)

野ブタ。をプロデュース

野ブタ。をプロデュース

この一週間結構本読みましたよ〜。「きみとぼくの壊れた世界」(西尾維新/講談社ノベルス)、「零崎双識の人間試験」(西尾維新/講談社ノベルス)、「GOTH」(乙一/角川書店)、「野ブタ。をプロデュース」(白岩玄/河出書房新社)、「涼宮ハルヒの憂鬱」(谷川優/角川スニーカー文庫)。そして、今は乙一の「失踪HOLIDAY」(角川スニーカー文庫)を読んでいる。ほとんどライトノベルではないか、もう少し年相応のものを読みなさい、と自分につっこみながら、ここでは、この中から「野ブタ。をプロデュース」をとりあげてみる。
これ読むまでに、散々、殺戮なる、殺伐たる殺傷的な本ばかり読んでいたので(ちょっと西尾維新ふうに表現してみました・・・・どこが?!)気楽な気分で楽しめた第41回文藝賞受賞作。ほとんど予備知識なしで読み始めたらいきなり「辻ちゃん加護ちゃんが卒業らしい」という書き出しでびっくり。小説の主人公は、軽妙なトークと見てくれのよさで、学校の人気ものの位置にいる。そんな彼が、転校してきた1人のさえない男子生徒を人気ものにするためのプロデューサーを買って出る。
「そう。“モー娘。”みたいに無名の子をみんなから愛されるアイドルにするんだ。もちろんあの子たちはオーディションで選ばれたある程度、素質とか素材がいい奴なんだけど。その点、お前は書類選考どころじゃない感じだし、アイドルとはかけ離れた存在だけどさ。ま、相手はクラスの四十人だからな。多くても学年全体百六十人ぐらいか。そのぐらいならやってみる価値はあるだろ?」
「俺はつんく♂のような敏腕プロデューサーではない」とか、個人的に大変楽しめる文章が出てくるんですけど・・・(あ、だからタイトルも野ブタ。なのね)。
この軽妙な主人公なのだが、実は読んでいて、ちょうどこの小説の前に読んだ乙一の「GOTH」の主人公“ぼく”をなぜか私は思い出していた。小説の種類としては、対極にある作品だし、「野ブタ。〜」の桐谷修二と「GOTH」の“ぼく”は似てもにつかぬ性格のようにみえるんだけど、例えば、「GOTH」の第一話「暗黒系」の、“人間関係を円滑にするため冗談も言う。普通の生活を送るための最低限のことはしていた。しかしいずれも表面的なつきあいで、クラスメイトに向ける笑顔はほとんど嘘だった。”という、記述、さらには、第2話「リスト・カット事件」で“陽気なクラスメイトたちに調子を合わせるのは簡単だった。テレビのバラエティ番組とドラマをチェックして、適当な相槌作り笑顔を覚えておけば、大抵は足並みをそろえることができた。そうしておくことで僕は性格の明るい高校生の1人としてみんなに認知され、様々なわずらわしい障害は取り除かれる。”という記述を思い出さずにはいられない。実際のところの“ぼく”の性格はまさに「暗黒系」なわけなのだが、この具体的には、あげられない“ぼく”とクラスメイトの会話に、この「野ブタ。〜」の主人公、修二の会話をあてはめてみると結構面白い。「アイタタタタ、なんかいるよ俺の席に。どっかりいっちゃってるよ」「なによ〜それどういう意味?」「うわ!しゃべった!意外と人間語!」「キャハハハ、ひっど〜い」とかしゃべってたりして(!)。
さて、「野ブタ。〜」だが、高校生活サバイバルのためのキャラクター作りという生きかた自体はそんなわけで、それほど目新しいテーマでもないような気がするけど、それを「プロデュース」と言い切るのはちょっと面白いと思った。
そして、この修二のプロデューサーぶりが、ある意味、教育者は読めばいいさと思うほど、その個人の持つ要素をいかしたものになっているのが面白い。つまり、太っている人にダイエットをさせるとか、弱虫にはっきり主張できるように練習させるとかそんなものでないということ、このあたりは読んでもらえれば分かると思うけど、持っている性質をそのまま使って、人にもたれるイメージを逆手にとることで彼を人気ものにしたてていく課程が非常にテンポよく描かれていて楽しめた。欠点も長所にするのだ!
ラストに関しては、自分は肯定的に捉えている。学生時代の閉塞感、凄い狭い社会を世界の全てと思い込んでしまっているその時期、この軽さは一つの答えだ。