「殺人の追憶」(ねたばれ)

韓国映画殺人の追憶」を心斎橋パラダイススクエアで。
 映画は少年のアップから始まる。彼が狙っていたのは一匹のバッタだった。少年が立ち上がると、そこは黄色い稲穂が続く田園。無邪気に虫取りをする少年となにごともないかのように揺れる稲穂の中で刑事はやって来て、用水路を覗き込む。そこには後ろでに縛られた女の遺体が。無数のアリが、遺体の上を歩いている。それは実にリアルな光景だった。
 「ほえる犬は噛まない」のポン・ジュノ監督の第2作目「殺人の追憶」は、1980年代,軍事政権下の中、民主化運動が行われ、また’88年のソウルオリンピック開催と大きく韓国の社会が変わろうとしていた時代を背景に、実際に起こって現在も未解決のままの連続殺人事件を描いている。その描き方は冒頭の死体のごとく実にリアル。といっても決して扇動的な描き方なのではなく、実際の殺害シーンといった残虐シーンは描かれず、例えば、2人目の被害者が今度は誰もが近づくことができるみはらしのよい場所にごろりと放置されている様を映し出して、事件の奇怪さと犯人の冷酷さを現してみせる。事件にあたる刑事は地元の刑事とソウルから志願してやってきた刑事。その対立も、例えば日本の某映画のように、コーヒーの自動販売機の前で、眉間にしわを寄せながら、それらしきセリフを応酬しあうというものではなく(あれはあれで好きなんだけど)、双方の取組み方を丁寧に描いてみせる。まだ近代化されていない地方の警察の自白強要主義と大事件に不慣れなため、どこか呑気な風情を漂わせている様と、一方、冷静で科学的な捜査を心情としていたソウルの刑事が次第に事件に飲み込まれていき自白を強要するように変貌していく様が説得力をもって描かれる。
 この事件がなぜ解決しなかったのか、近代化されていない捜査のとんでもないずさんさ(現場は鑑識が来るまでに踏み荒らされている)、警察の要請に応じない機動隊やラジオ局、暴力捜査のつけと、思い込みによる物事の見落とし、 冷静に考えれば導けたかもしれない物がどんどん迷宮へと入り込んでいく様を見ていると、人間とは失敗する生き物であることを痛感してしまう。
それにしても,未解決の事件を題材にしてこれほど面白い作品が撮れるとは。ラストのソン・ガンホのクローズアップが、なんともいえぬ不安を誘う。
 ところで、ソウルからきた刑事役の俳優を絶対どこかで見たことがある、と映画を見ながらずっと思っていたのだが、思い出せず、でも間違いなく知ってる、どこで観たんだろ、私が観たことのある韓国映画は数が知れてるのにと思ってたら、なんとこないだ観たばかりの「気まぐれな唇」で主演していたキム・サンギョだった。「気まぐれな唇」では,役作りで8キロも太らなくてはならなかったらしい。だからわからなかったのか? 痩せた(普段どおり?)の彼はちょっと佐藤浩市似の男前。