「着信アリ」(ネタバレしまくりですので、これから観る予定のかたは読まないでね)

“何かとてもイヤな感じ”というものを描く事が、ホラー映画の目的であるかのように思う時がある。実際、ホラー映画を観ていると、本当に怖いのは、おばけではなくて人間であると思うことが多い。「シックス・センス」など、明らかに娘に洗剤飲ませてる母親の方が怖いし、学園を舞台にしたホラー映画は“執拗ないじめ”がこれでもかと描かれる。本作には、児童虐待という今日的テーマが織り込まれていて、主人公の柴咲コウは過去に母親から虐待を受けて育った女性として登場。また一連の呪の携帯(?)さわぎの発端となる謎の親子においても、母親による虐待が暗示される。さらに本作では、携帯電話で死の予告を受けた女性の生死の運命の瞬間をテレビ局が生放送するという、これまでも「FOCUS」や「催眠」といった作品が、描いてきたようなマスコミの行き過ぎた報道をとても露骨に演出してみせ、観客の不快感をつのらせる。ホラー映画の真髄が、“イヤな感じ”にあるのだとすれば、間違いなく、本作はホラー映画として成功しているといえる。ホラーを観ようと思うことは、目をそむけたいような“醜いもの”を見ることを余儀なくされるということなのだ。
 だが、観客がホラー映画に何を求めているかといえば、怖い物みたさのハラハラ感であって、怖いだろうか、最後まで観られるだろうか、観終わったら何食べようか、面白かったら○○子にも教えてやろう、というような一種のお祭感覚なのだ。その観点からみれば、本作に登場するおばけや幽霊、それらが巻き起こす怪奇現象は見事に怖くないし、怖くしようという工夫もあまり観られない。なにかが近づいてくる時は、必ずその気配や、着メロがなりひびき、いつくるのか、いつくるのか、という不安な怖さがまったく感じられない。しかも物語は後半、破綻していき、謎の親子のすまいや、廃墟となった病院が舞台になるにいたって、完全に画面はお化け屋敷状態。携帯電話はどうなったの?と誰もがつっこみをいれたくなるほど、本来の携帯をベースにした設定はどんどんおざなりになっていくのであった。
 しか〜し、この映画は実はストーリーが破綻してからの方が面白いのだ!真相も二転三転し、アクロバティックなお話になっていく。冒頭に提示された小さな穴が怖くて覗けないという主人公のトラウマが、複線になっているはずだと思ってみていたら、マンションの来客を確認するのぞき穴が登場。柴咲コウは実にそれをあっさりと覗き、そこに女の子の姿を確認したとたん、私のような少々先端恐怖症気味の人間が「ンギャーー」と叫びそうになるほど、先が鋭くとんがった長い棒が覗き穴から飛び出てくるのだ!ラストのわけのわからなさといい、最後の数十分だけ、三池崇史監督はやる気をだしてくれたようである。