「アイデン&ティティ」

 私はミュージシャンがアルバムのコンセプトを語るのがあまり好きではない。そんなことはいちいち説明せずに聴くものにゆだねよと思ってしまう。「いい意味でファンを裏切りたい」なんて、手垢のついた言葉もいや。んなわけで、ミュージシャンのインタビューを掲載している音楽専門誌はほとんど見ない。
 そんな人間だから、ROCK畑の人が「ROCKとは何か」とか「それはROCKじゃない」だとか、「ROCK不毛の日本の地で」なんて言い出すとやれやれまたかと逃げ腰になってしまうのだ。とりあえず、なんでもROCKだ、と言っている某プロデューサーもいるけれど(誰?!)。
 ところがである。映画『アイデン&ティティ』の登場人物たちにはどっぷり感情移入してしまったのである。特に、「ROCKって何?」「こんなのROCKじゃない」「ROCK不毛の地日本」なんてことを延々と悩みつづけている主人公に。主人公に“ディラン”の幻が見えてしまうというこっぱずかしいシチュエーションもまったくOK。主人公とともに喜び、怒り、涙してしまった。どうしてこんなことが?
 映画『アイデン&ティティ』はみうらじゅん原作の同名コミックを名脇役田口トモロヲが映画化(初監督)。脚本は宮藤官九郎、元GOING STEADY峯田和伸主演のバンドブームに巻き込まれ、メジャーデビューしたものの、理想と現実のギャップで揺れ動くバンド“SPEED WAY"の物語だ。
 メジャーデビューしたばかりのSPEED WAYのメンバーはギターの中島(峯田)、ベースのトシ(大森南朋)、ボーカルのジョニー(中村獅童)、ドラムの豆蔵(マギー)の四人。デビュー曲がそこそこ売れ、ライブ先にはグルーピーもやってくる。でも中島の前にディランが現れ、彼は急に恥ずかしくなる。これは俺が本当にやりたいROCKじゃない。そんな彼には学生時代から付き合っている彼女(麻生久美子)がいる。彼は、彼女に「自分のことが好きなのか」聞かずに入られない。彼女は、いつも“きみのことが大好きだよ”といって彼を励ます。不安にかられてグルーピーと寝てしまう彼に対してやんわり傷ついていることを告白するものの、決して別れ話になどならない。「きみが夢を持っている限り、理想を追っているかぎり」彼を好きで応援するといってくれる。やがて、バンドブームは去り、SPEED WAYにはあの人は今的な仕事しかこなくなる。そんな中、「ROCKを単なるブームとして扱ったバカどもに捧げる!」と中島は行動を起こすのだった。
 とまあ、ストーリーをかくと、もう、べた!なんだけど、ROCKに限らず、夢をもったことのある人には、どこか共鳴できるものが鳴り響いている。最近夢みることを忘れちゃってるななんてことを恥ずかしげもなく思ってしまう。こいつらかっこ悪いけど、ださかっこいいなと思ってしまう。夢と理想を忘れるなと自分に言い聞かせたくなる。
 麻生久美子の演じた彼女は、ある意味理想の女神さまのような人である。中島がアイデンで、彼女がティティ。こんな人にめぐまれればいいよなと思ってしまうが、彼女もまた、中島が見た“ディラン”と同じく本当は、彼の心の中の女神なんではないのかな。 いつも自分をみてくれていて、いつも自分の味方で、駄目な時は、そっとたしなめてくれて、ずっと励ましてくれている。それはきっと誰もが持っている自分の中の女神なんではないのかな。 そんな女神を都合よく人間は持っていて、その女神が強ければ強いほど、夢と理想を追いつづけられるのではないのかな。いつかその女神が消えてしまう人もいるだろうし、薄れていってる人もいるだろう。もう一度心の中の女神を呼び出してみようと、そんなことを勝手に妄想してしまう。何を恥ずかしいことを書いているのだろうと我ながら思うけれど、べたなのもたまにはいいかもよ。女神がいなくなれば、人間にはアイデンティテイがなくなるのだ、とそんなことを思ったりもした。