ツイニツイニ・・・

いつでもどこでも、すべてのところにつながる可能性があるというのは、身も蓋もなさすぎる。あまりに直截的すぎて、携帯電話はじつは人と人とのコミュニケーションにはさほど適してないのだ。そのため、今や携帯は電話ではなく、メールのやりとりが主体になってしまっている。
便利にはなった。しかし人間関係が豊かになったわけではない。
あらためて、機械の進歩は、生活を便利にするだけであって、人を幸せにするとはかぎらないということがわかる。
[中略]
携帯電話は僕たちが思っている以上に大きな存在になってしまっている。
鉄道、と同じレベルの文化的インパクトがあるとおもう。
鉄道の出現がもたらした影響はとてつもなく大きい。
いま、鉄道がない状態は想像しにくい。地下鉄もJRも、新幹線も東急東横線都電荒川線もない状態。四ツ谷から新橋に行くのも歩くしかなく、高田馬場から京都へ行くにも歩くしかない状態。誰も想像できないと思う。でも百三十年前の人は、みんなそうしていたのだ。向こうから見れば、こちらの世界が便利だけど異常な世界である。ちなみに四ツ谷から新橋は四十五分で歩けるし、高田馬場から京都までは急げば十二日で着ける。僕はそうだった。鉄道がなくったって、人は別にふつうに生きていける。大正生まれの人は、天正生まれの人よりも生涯に移動した総距離は長いだろうが、だからといって幸せだったとはいえない。
ただ、誰一人として、鉄道を廃止して、そんな時代に帰りたいなどとはおもっていない。
携帯も同じだ。
便利にはなった。でもいくつかのものを失った。そして僕たちはもうその時間をもとに戻すことはできないのだ。
〔「若者殺しの時代」(堀井憲一郎/講談社現代新書)〕

ずっと私が携帯電話を所有してこなかったのは、別に上記のような現状に抵抗していたからというわけではない。上記の文章はただ単に引用したかったからちょっと引用してみただけであった。ははは。ではどうして携帯を持たないのかというと、使っても使わなくても基本料金というものがかかるらしい、それを支払うのがもったいない、というのと、外出中に家族から電話がかかってくるのがイヤッ!という2つの理由があってのこと。携帯などなければないで別に不自由でもない。本当に用事のある人は家庭の電話機のほうにかけてくるし、大概メールでことがすむし、主な外出先での公衆電話の位置をきちんと把握しておけば外出先からの電話だって別に困ることはない。
ところが、先日、家族が私の携帯を購入してきたのだ。家族全員が持っているのに私だけが持っていないというのを不憫に感じたのか、どちらかとういうと積極的に持ちたがってなかったのだがその姿を虚勢と感じたのか、やはり連絡の際、不便を感じていたのか、とにかく私のところにも携帯というものがやってきてしまったのだった。
確かにあればあったで便利ではある。けれど、今はまるで初めて鉄道を前にして乗り方がわからず、右往左往している大正時代の人みたいな状態で、ちっとも便利とは感じない。まったく変換というものをしていない返信文を送って笑われている始末である。
しかも慣れていないせいとあまり必要性を感じていないせいで、ついつい携帯するのを忘れるので、小言を言われてしまう。なんだか前より怒られる回数が増えただけのような感じがするのは気のせいだろうか?


待ちうけ↓

「・・・・・画像あげよか?」と言われたが当分これでいきます。