「トンネル・ヴィジョン」(キース・ロウ/ソニーマガジンズ)

世界で初めて蒸気機関車が走ったのはイギリスですが、地下鉄もロンドンが最古です。最初は地下を蒸気機関車が走っていたのだとか。その後、路線はどんどん拡張され、しかもそれがあまり計画的でなかったために、今やロンドンの地下鉄は非常に複雑になっているといいます。さて、この「トンネル・ヴィジョン」は、その地下鉄に生きる歓びを見つけている地下鉄ヲタクのお話です。
鉄道発祥の地であることもあり、イギリスでの鉄道人気は目をみはるものがあります。昔、イギリスにいたときには、ケンブリッジの駅周辺で、鉄道ファンのためのお祭りが行われていて、多くのファン、マニアがカメラを持って撮影したり、ミニチュアの蒸気で走る機関車を子どもたちに披露したり、珍しいスチームエンジンなどが展示されていたりしました。オリジナルビデオの販売もあって、一本買ったら、延々と一つの列車が走っているのを映した物でした。町にある鉄道の模型屋はやたら精密な高価なものしか置いていなくて、子どものおもちゃには高級すぎる、まさに大人のマニアのためのお店でした(そもそもイギリスには子どものためのおもちゃにろくなものがありません)。鉄道だけでなく、バスの人気もかなりのもので、ケンブリッジを走っているケムバスが、やはり同じようにバスマニアに向けたお祭りを催していたこともあります。バス関連の珍しいグッズにマニアが殺到していました。いや〜どの世界もそれぞれ熱いですね〜。
 と、話がそれましたが、本書は24時間後にパリで結婚式をあげる予定の地下鉄ヲタク、アンディがヲタ仲間にそそのかされ、24時間以内にロンドン地下鉄全267駅をまわりきることに挑戦するというお話です。以下は帯の引用。「時刻表を念頭に、複雑に行き交う12のラインを効率よく乗り継ぎ、出口に一番近い車両に乗り込まなければ達成することはできない。成功の鍵は緻密な計算と体力と運。世界記録は18時間19分、最難関のチャレンジに挑む!」へたすれば、結婚式に間に合わず、なにもかも失ってしまう可能性もあるのです。しかし、しかし、地下鉄ヲタクの意地と、誇りと性(さが)が、アンディに決行を駆り立てるのでした!
地下鉄に限らずイギリスの乗り物は実にのんびりしていて、定刻に出発する事の方が希である上に、トラブルがつきもので、私も乗っている列車が急に運行中止になって、途中バスに乗せられて、一駅分だけ運ばれたことがあります。それでも誰も怒り出さずやれやれっていう感じで従っている。珍しくないんですね。
で、この小説の中でも、アンディは、様々なトラブルに出会います。よろよろのおばあさんが乗ろうとしてゆっくりゆっくりドアに近づいている。それを観光客が扉を手で押さえて待ってるもんだから、なかなか地下鉄が発進しない。いらいらしたアンディはホームに出ておばあさんが乗車するのを手伝うんですが、あまりに扉をおもいっきし押さえていたために扉が故障でしまらなくなってしまう。駅員がやってきて、運行中止、全員別の列車に乗り換えを命じられる、とまあ、読者には笑えて、そして、アンディにとっては泣けるというエピソードがぎっしり詰まっています。それでも、彼は頭を働かせ、最善の方法をはじき出すのです。さて、果たして彼は目的を達成できるのか、そして、結婚式をあげることはできるのか!!
世間からみれば当然、結婚式のためにこの挑戦はすべきものでははいでしょう。でも、そうはいかないのがヲタ気質。かつて、私の敬愛する某映画批評家が「家庭は映画の敵」と書いていましたが、本当ににそう思います(笑)。ヲタ気質と家庭の両立、これは永遠のテーマなのかもしれない。〜〜といつの間にか自分の問題にすりかわっていますが(笑)
訳者あとがきによると作者自身がこの地下鉄ヲタクということではないらしいです。そのあたりが、やや、ヲタクという種類の人間を綺麗な感じでまとめているという部分もなきにしもあらずなのですが、それでも、3年間のリサーチのもとに書かれているそうで、かなりのスリルを味わえます。

実はこの本は、例のロンドン同時多発テロが起こる前に読み終わっていたもので、あの事件は本当にショッキングでした。2度と起こることがないよう、せつに願います。