DEF.DIVA「好きすぎて バカみたい」が好きすぎてウソみたい。

なんでしょう?なんでこの楽曲にこんなに惹かれるんでしょう? DEF.DIVAのパフォーマンスがこれほど観ていて楽しくって仕方ないのはなぜでしょうか?? 歌い手の素材がいいことはわかってます。そして昨今その素材を十分いかせたといえる作品群が少ないのも事実です。では、この曲がその素材をいかすのに練りに練られた、考えに考え抜かれた名曲となっているからなんでしょうか? それにはイエスと言いにくい部分があります。まず、そんなに深く考えられた作品ではなさそうですし、壮大なコンセプトがあるわけでもありません。音楽的に斬新な試みをしているわけでもありません。寧ろいつものハロプロ作品と同様、本当に売る気があるのか?と思えるような条件化で作られてきたものの一つだと言ってもよいかもしれません。それなのに、それなのに、この作品のもたらす高揚感はなんなのか?
勿論、テレビ露出が多いことへの歓びの部分は大きいし、これまでの3という数字が4になったことで、古き良きハリウッドミュージカル的な世界観が立ち上がったことからくる歓びもあるし(深く追求しないようにw)、個人的にあやごまフィーバーがきてます、きてますの役割りも大きいでしょう。しかし、それプラス“絶妙なさじ加減”、それにまいってしまったように思うのです。
これを説明するのはとても難しい。それでもあえて、説明すると、かっこよすぎないかっこよさ。洗練しすぎていない洗練さ。〜なんともわかりにくいのですが、例えば、ごっちんの本領が発揮されていないのではないかと巷では言われているダンスを例にあげてみると、確かに異様にゆるいし、本気だしてないかのように一見みえます。しかし、ちょうど、これはだんご生活がはじまって、みたらしだんごを一日に何本も食べたいのに、あえて一本だけにしているというようなそんなさじ加減なんですね*1。手抜きとか、無念のレベルダウンとかではなくて、そのことによって、これ以上太らないというメリットがある(個人的にはもうちょっと太ったっていいとおもうけど。まあ、今が物凄く可愛いのは事実ですよ)ように、不思議なさじ加減となってそのダンスも“素敵”という方向に転んでるように思うのです。「バカみたい」の部分の振り付けの力の抜けかたなんて、なんて素敵なんでしょう!
全ての要素がどっちにも転ぶところをうまい具合に良い方向に転んだ楽曲と言いなおしてもいい。この四人がベストなのかとか、この衣装はベストなのかとか、平田祥一郎のアレンジはこれがベストなのかとかというとそれは必ずしも首を縦にふって「YES」とは言えない部分もあるのだけども、良い方にみんながみんな転んだ産物ともいえましょうか!? “奇跡の産物”というよりは“偶然の産物”ではあるのですが、意味がわからないくらいこの楽曲の世界のこちら側(this side)に自分自身転ばされてしまったようなのです。
つまり、魅力というものは、理屈とか、理論とかでは計れないものなのです。理屈とか理論を超えたところに“ホンモノ”が立ち表れるのです。この場合けっして“本物”ではない、“ホンモノ”なんですけど。またそこがよいんですよ。ん? 誰ですか? 意味がわからなくてバカみたいと言ってるのは!!

*1:松浦亜弥のANN」で、だんご生活が始ったことを川柳にしていた後藤真希さんだったが、ラジオ関西王様ラジオキッズ」という番組では、現在の体重をキープするためにDEF.DIVAでは大食いを控えていると発言。