「スッピンと涙。」は2000年代の「東京物語」だ!

後藤真希の「スッピンと涙。」を初めて聴いた時、ああ、これは2000年代の「東京物語」なのだなと思った。自分がこの曲を初めて聴いたのは、後藤真希のファンクラブイベントだったのだが、その時、ごっちんは、曲を歌う前に、ひとしきりこの曲の背景になる物語を私たちに説明してくれた。曰く、地方から東京に出てきた女の子が、彼氏と同棲して楽しい思い出も出来て、その街の人たちとも仲良くなって暮らしていたのだけれど、その2人が別れてしまって、彼氏が家を出て行って、一人女の子だけが、残される。その街にあまりにも馴染んでしまったために一人でそこに残るのは辛すぎて、女の子は田舎に帰ろうと思う〜とまあ、だいたいそのような解説だったと記憶している。つんく作の歌詞には、東京という文字は出てこないけれど、確かに上京してきた女子の心情を描いた内容となっている。
上京小説というジャンルがあるのかは知らないけれど、地方から東京に出てきた人々を主人公にした物語には印象的なものがたくさんある。奥田 英朗の「東京物語」とか、小林紀晴の「写真学生」とかが好きな作品だったりするんだけど、上京ものといえば、その「写真学生」の単行本の表紙にイラストを書いている魚喃キリコの漫画作品をすぐに思いだす。
魚喃キリコの作品の多くは、地方から出てきて一人で暮らす若い女性が恋をしたり、別れたり、孤独と戦いながら日々生きていく姿を描いている。“東京で生きていくこと”を綴っている作品群だ。魚喃キリコの作品と比べると、「スッピンと涙。」の主人公は、“東京で生きていくこと”へのこだわりはあまり感じられない。最初、私は「スッピンと涙。」の主人公を弱々しいと感じていた。好きな人に冷たくされたり、裏切られて傷ついて孤独感にさいなまれながらも一人で東京に暮らし続ける(まあ、多少例外はあるが)魚喃のヒロインに比べれば、なんと弱々しいことかと。
 でも、逆にこうとも言えるだろう。「スッピンと涙。」の主人公にとっては、「あなた」が世界の全てで、東京は単に「あなた」が住んでいた場所に過ぎなかったのだと。つまり、彼女は全力で「あなた」を愛していて、「あなた」が自分の元から去ってしまった今では東京には何の意味もないのだと。ここで浮かんでくるのは、その愛の強さだったり、深さだったり、ひたむきさだったりする。一見弱々しく見えたこの女性の内に秘めた深い情熱だ。その愛の一途さを思うとき、部屋でぽつんと私だけ〜♪の彼女に、私は泣けて泣けてしょうがないのだ。
 そんな部屋にぽつんといる女性を想像したとき、なぜか思い出したのは、小津安二郎監督の「東京物語」(昭和28年)のラスト、尾道の家で一人ぼっちで座っている笠智衆だ。「東京物語」は小津の代表作とも言われ、尾道に住む老夫婦が東京に暮らしている子供達を訪ねていくというストーリー。しかし、日々の生活に追われる子どもたちは、両親をゆっくりともてなすことが出来ない。寂しさを感じつつも、老夫婦はあくまでも穏やかに故郷へと戻っていく。その後、突然、妻が泣くなり、尾道で葬儀が営まれる。帰郷した子どもたちはまた東京へと戻り、最後に一人になった笠智衆を映して映画は終わる。
 「スッピンと涙。」と「東京物語」のストーリーは別に似ていない。それでもやっぱり、ラストの笠智衆とこの女性が一人ポツンと部屋に残されている様子が自分の中で重なってしょうがない。後藤真希は「スッピンと涙。」を穏やかな調子で甘い声で歌っている。歌詞の中で女性は泣いている。でも、後藤の声はとても優しくて、慈愛に満ちている。その歌声がまた、東京旅行で寂しさの中にも微笑んでいた笠に似ていると思う。
 小津が東京に住む夫婦を描いた作品ではなくて、子どもたちの住む東京を訪ねる老夫婦を描く作品に「東京物語」というタイトルをつけたことを思うと、私は「あなた」を追って東京に来て、そしてまた田舎へと帰っていく主人公を描く楽曲「スッピンと涙。」を“2000年代の東京物語だ”と無償に語ってみたくなってしまうのだ。