「犬猫」(ねたばれあります)

ぴあフィルムフェスティバル2001で企画賞を受賞した井口奈己監督の8ミリ作品を井口監督自身が、主演に榎本加奈子藤田陽子を迎えてセルフリメイクした作品。
榎本扮するヨーコと、藤田扮するスズは、中国へ留学する共通の友人アベチャン(小池栄子)の留守宅で同居することになるが、実は二人は幼稚園のころからの知り合いで、好きなタイプが常に同じことから「めちゃくちゃ仲が悪い」(c)スズ、二人だった。とはいえ、映画を観ていると、この二人、仲が悪いんだが、気が合うんだか、観ていて、なんだか家族みたいな二人だなあと思った。喧嘩してもまたなにごともなかったかのように、一緒にお茶すすってたりっていう、それって友達とか、友情というよりは、なんだかやっかいだけど、だって「家族」だから、っていう感覚に近いかなと思った。
実はこういうタイプの女の子二人組を知っている。自分より歳はずっと若い子たちだけど、一見仲がいいように見えるのに、相手のいないところでは、相手の不満を別の人に嘆いていて、でも全然陰湿じゃなくて、そういうのが全てばればれで、男子に「○○と△△ってさ〜、一見仲よさそうなのに、仲悪いよな〜」とか言われて、「うふふ」と二人で笑っているのだった。そうか、こういうほんのちょっとしたシチュエーションでも映画ができるのだな〜、イヤ、勿論、井口監督にそういう知り合いがいたとは限らないのだが、例えば、この映画は、女の子が二人、ある風景の中を同じように歩む場面を撮りたいと思って撮られたものかもしれないし、とにかく日常のほんのささいな風景や、見慣れすぎて物語にはならないと思っていたものが、しっかり物語になることにちょっと感動した。
カメラが固定された風景の中で、まずスズが迷って、しばらくして同じ風景の中をヨーコが同じように迷っていたり、線路の横の坂道を同じように歩んでいたり、犬の散歩していて、同じように土手を転がり落ちてたり、そんな光景が皆愛しく、思わず、くくく(ちびまる子ちゃんの野口さんみたいだが)と笑えてしまうのだ。その一方で、二人が疾走して、カメラも一緒に走って、ヨウコの場合はカメラが最後は勝手に爆走してしまうのだが、同じようなショットでも、スズの場合は、勝手に暴走しようとするカメラにスズがまた追いついてくる。最後はいいとこどりをしてしまうというスズという人間とヨウコとの違いを表しているようにもとれる。
それにしても今の若い人たちは、スプーンとかは最低限の数しか用意していないんだろうか? 「珈琲時光」でもヒロインが、自宅に自分自身が使う以外の箸を探すシーンがあったし、「犬猫」では、ヨーコとスズと、ヨーコが片思いしている三鷹忍成修吾)と3人で家でカレーを食べるシーンがあるんだけど、スズと三鷹はスプーンなのに、ヨーコはフォークだった。カレーはフォークでは食べられないだろう・・・・。
あと、映画が終わってから、場内が明るくなった時ちょっと恥ずかしかったのは、その日の私の服装が、ピーコートと、黒ぶちのめがねとコンバースで、なんだかヨーコの服装に似通っていたからであるが、きっと映画館のほかのだれもそんことは気になんてしてなかっただろう。若作りがすぎるとはこういうことをいう。