「69sixty nine」

「69 sixty nine」を梅田ブルグで。ここはよくパンフレット切らしてくれますね。
入荷日も未定ですって商売する気あるんかい!といきなりキレておりますが、映画は面白かったです。
 妻夫木くん扮するはちゃめちゃ高校生と彼に振り回される同級生たちを描いた元気な男の子物語。最近、こういう破天荒で元気な男の子を描いた作品というのは、非常に少ない。映画の中の少年たちは、たいがいもっとナイーブで、女の子に優しくて、果ては「花とアリス」みたいな、ボーっとした男の子に対しても、なんじゃこいつ、というのではなく、観客はいつの間にかうけいれてしまっている。誰も日本映画作品の中の男子に強さややんちゃぶりを求めてないように思える。「けんかえれじい」みたいな映画はとんとみあたらない。まあこれは、日本映画に限らず「チアーズ!」といったアメリカ映画や、「マンボ!マンボ!マンボ!」といったイギリス映画でも同じで、男の子は、あくまでも夢みる少女たちの応援をするよき理解者として登場し、女の子の応援をする男の子こそが時代のヒーローみたいなそんな雰囲気まで醸し出していた。勝新太郎が「悪名」で扮した八尾の朝吉の平成版が、「バウンスkoGALS」の佐藤仁美扮する渋谷のコギャル、ジョン子であったように、または、「下妻物語」のロリータちゃんとヤンキーちゃんが元気な姿で我々を笑いと感動の渦に巻き込んでくれたように、女の子はパワフルに活躍しているというのに。
 村上龍は「希望の国エクソダス」一冊きりしか読んでないので、彼の原作に関しては、ここでは、まったく触れないことを先に断っておく。かわりに取り出すのが金城一紀の「レヴォリューションNo.3」だ。噂によると、村上の原作と金城のこの作品は、非常に似ているそうなのだが、まず、映画「69 sixty nine」を観ていて思い出されたのが、この「レヴォリューションNo.3」なのだった。男の子が元気、パワフル!行動力抜群! 読了後も珍しい男の子小説として印象に残った。金城のデビュー作「GO」にしても、コリアンジャパニーズの主人公のたくましさが、今どきのメディアにおける日本男子の描き方とは、随分違うというそんな印象があったものである。そういえば、映画版「GO」は、この「69」と同じく宮藤官九郎が脚本を担当していたっけ。供に、新井浩文が出てくることからも同じ匂いを感じたのかもしれないが・・・。
 そして、ここでもう一つ、「69 sixty nine」の監督李相日監督もまた、コリアン・ジャパニーズの一人である。彼の第2作「BORDER LINE」は見逃してしまっているのだが、「第22回ぴあフィルムフェスティバル」で4賞を受賞した「青〜chong〜」も、出てくる高校生は、在日三世で喧嘩にも強く、びびることなく、他のメディアに登場する男子学生のイメージからは、遥かに大人びた雰囲気をもった人物だった。李監督は、「青〜chong〜」のパンフレットのインタビュー記事の中で『在日問題というのは、僕にとっての“自分の持ちネタ”で、それがたまたま他の人にはないものなんです。ただ、1枚きりのジョーカーを最初に出してしまったんで、この先どうしようという戸惑いはあるんですよ』と語っているが、在日というテーマがまったくない(妻夫木扮する主人公は兎に角なんの思想もない)「69 sixty nine」を語るときにまでこのように、在日という言葉を引き出してこられたら、“かんべんしてくれよ〜”と李監督は思うかもしれないけれど、元気な男子が描ける最後の砦がそこにあるんじゃないかとふと思ったというそれだけの話しなのだ。
映画について何も語っていないけれど、「青〜chong〜」でもう既に絵作りが出来上がっていたように思えた李監督の演出は相当上手いと思う。そして、宮藤官九郎の脚本は、実は物凄くハリウッド的ではないだろうか? アダム・サンドラーと比較してみると面白そうだ。