「リアリズムの宿」(ネタバレ有りまくり)

テアトル梅田にて山下敦弘監督の「リアリズムの宿」鑑賞。映画が終わって、ゆっくりエンドロールが流れるのを観ながら、私はこんなことを想像していた。
 ここは、映画「リアリズムの宿」の関係者試写会場。客席をズラっと埋めた鳥取県観光連盟の皆さんは、映画のエンドロールが流れる中、無言で固まっていた。「こ、これは・・・・これを観て鳥取県に行ってみたいと思う人はいるんやろか?」(この関西弁の部分は鳥取弁に置き換えて読んでください)
 映画が終わって明かりがついてもしばらく固まっている群集の中から「パチパチパチ」と拍手するものがいた。それは観光連盟の中でもラジカルで有名なAさん。
「いや、素晴らしい!」パチパチパチ 「ああ、そう、そう、いや、実にいい映画だ」。パチパチパチ、「そ、そう、こんな旅もあり?みたいな」パチパチパチ 「雪の砂丘もきれいだった」パチパチ、「いやあ〜、なんとも味のあるユニークな作品ですな〜、はははは」場内はいつの間にかわれんばかりの拍手に包まれていた。
 誤解されては困るのだが、決して私は鳥取県観光連盟をおちょくろうとしているわけではない。映画をおちょくろうとしているわけで・・・じゃない!まさにこういう映画なのだ! ということが言いたかったのである。
 駆け出しの映画監督と脚本家は、共通友人を介して少し知っているというだけの間柄。そんな二人が、知人の遅刻のせいで二人きりで旅をするはめになる。不器用で気弱な彼らは最初の宿では主人にまんまとしてやられ、途中、女性と行動を供にすることになって、テンションがあがるものの、別れた恋人のことを思い飲みすぎたり、あげくに金欠で地元の人の家につれてこられ、あまりに居心地が悪いので、安い宿を頼んだらそこは・・・・・・! という、とにかく鳥取県の宣伝にはまったくならないような画と展開なので、エンドロールに延々と並ぶ映画に協力したとおぼしき鳥取の人々の名前を見て、こんなことを考えてしまったのだった。勿論、地方ロケした作品が観光映画である必要があるだなんてことを言いたいわけじゃない。そんなことを考えて映画は撮られるわけじゃない。でも例えば「深呼吸の必要」なら、この夏休みはさとうきび隊で沖縄にでかけるのも悪くないかもと思う人がいるかもしれないし、「世界の中心で、愛をさけぶ」なら香川県でロケ地めぐりしたいという人もいるだろう。あるいは、北海道のある町の村おこし映画「女はバス停で服を着替えた」なら、これも結構へんてこりんな要素のある映画ではあったが、地元の人が、歌って、踊るシーンがあって、あれは試写会でさぞかし盛り上がったことだろうと想像できる。「リアリズムの宿」には、そういう効果は皆無に見える。
 だが、この「リアリズムの宿」がなんとも味があって、人を引き付ける魅力に溢れている作品であることは確かだ。クスっと笑わせる(それは限りなく“苦笑”というものに近いが)そこはかとないおかしみが全編に漂っている。山下監督の前作「ばかのハコ船」には、冒頭、東京から故郷に帰ってきた主役の2人がスクリーンの左隅にいて、右っかわにぐねりと続く道路がうつっているショットがあるんだけど、この道路の中央分離線がなんともいえないとぼけた感じで、これを観て、この微妙なおかしさにすっかり魅了されてしまったものだ。今回は、海岸で、半裸の女性が、砂浜に座っている男のところにかけてきて、男たちは思わず逃げ出そうとするシーンをかなり引いて上空からワンショットで見せていて、こんなショットは山下監督しか取れないだろうとマジで拍手したくなった。 最後の宿で思わず、笑いたくもないのに笑ってしまう、二人に激しく同調していた。ラストのでたらめさもなかなかのもんである。なんで、○○○○○しかいないんだ!?(漢字五文字)山下敦弘節が(地味〜に)炸裂するのである。
 そんなことを思って、今度は、想像の中の鳥取県観光連盟の人たちに私は拍手をしてもらった。いや、実際、ほんとこんな感じじゃなかったのかな(ま、実際に鳥取で試写が行われていたらの話しだが)? 拍手している人の中には勿論、私もあなたもふくまれてます。