「気まぐれな唇」(ねたばれあり?)

韓国映画「気まぐれな唇」(監督:ホン・サンス)をテアトル梅田にて鑑賞。すっかり韓国映画づいてます。次回は、昨日感想を書いた「ほえる犬は噛まない」のポン・ジュノの「殺人の追憶」を観にいく予定。「オアシス」も観たいし。
 さて、本作、舞台では名の知れた俳優ギョンスが映画の仕事を降ろされ、半ばやけ気味に先輩の住むチュンチョンに旅に出る。そこで知り合ったダンサーと一夜をともにするが、彼女の情熱から逃げ去るように故郷をめざす。その途中で、出会った女性に対して、今度は彼が執拗な愛を求めるのだ、というまあざっとこんなストーリー。早い話が、酒を飲んで飲んで、ほろ酔い気分で女に誘われ、誘い、というだけの映画。なのに、なぜか滅茶苦茶面白い。主人公の着る真っ赤なTシャツと先輩の青いTシャツ、その色合いのせいか、なんだかフランス映画を観ているようだ。ちっともお洒落じゃないけど。映画の役を降ろされたギョンスが悪態をついて、監督から「人として生きるのは難しい。だが怪物にはなるな」という忠告を受けるのだけれど、彼はこれをあとあと、別の人間に繰り替えして言うことになる。ありがたい言葉もただ笑える言葉になって、しかも、その言葉をギョンスに言った監督でさえ、実は誰かに言われたことを真似しているだけじゃないのかと思わせるような、言葉の持つ意味のなさが繰り返しによって浮き上がってくる演出の妙。それは、全編にわたっていえることで、最初の女に言わなかった「愛している」という言葉をギョンスは2番目の女に繰り返すけれど、言われた女にとっては、別に重みもなにもないものだ。そうした男と女の微妙なすれ違いが画面に立ち現れていく様や、占いをしてもらっただけで、あっさりと崩れる二人の関係など、実にさらっとだが、情感たっぷりに、しかも可笑しみを込めて描く力量は相当のもの。冒頭の監督からエレベーターのボタンを押してドアをしめて逃げ去った主人公は、ラスト、重く二度と永遠に開かないような大きな扉を見てただ立たずむしかない。閉じられた扉がまるで意志の塊であるかのように私たちを切なくする。