「1980」

chori2004-02-21

平凡で冴えない男子学生がある日ふとしたことから某更正施設を脱走してきた不良少女をかくまうことに! 彼女の迫力と厚かましい態度にきれながらも怖くて彼女を追い出せないでいる男子学生だったが、そんな二人の心が次第に近づき始めた時、更正施設の追っ手が彼女に迫る。実はその更正施設は悪の組織で、追い詰められた少女は得意なボーリングで決着をつけることを提案するのだった。その時、男子学生は!
 〜え?「1980」ってそんなくだらないストーリーだった?と疑われた方、はい、勿論違います。これは80年代、自主映画製作のために、私が原案を考え、シナリオ(共同)を担当した作品のストーリーの要約です。結局、撮影にはいったものの、未完に終わった作品なんだけれど。
 と、長々と書いたが、何を言いたかったかというと、80年代に映研に所属していて、自主映画にわずかながらにも参加していた人間にとって、ケラリーノ・サンドラビッチ監督の「1980」は懐かしくて、恥ずかしくてたまらん映画だってことだ! 主演の三姉妹の一人蒼井優みたいに自主映画のためにヌードになるなんて人は、さすがにまわりにはいなかったし、キスシーンですら、撮る根性などなかったけれど。映画「1980」は、80年代のディテールがたっぷり盛り込まれているので、観たものは、一挙に80年代回顧モードに突入してしまう。映画では狂言回し的に出てくるロック研の衣笠が“脱構築”なんて言ってたけれど、その言葉、使った、使った。“ポストモダン”とか、“パフォーマンス”とか、“浅田彰”とか、、わけのわかなないまま使ってなにやら文章書いたりしていた。高橋幸宏のコンサートとか、坂本龍一主催の某イベントなど、嬉々として出かけていたし、考えてみれば、ひたすらやりたいことだけをやっていた楽しい時代だった。勿論、YMOの「ライディーン」はお気に入りで、持っていたのは多分ベスト盤。ついでにいうと、「花とアリス」の蒼井優より、断然聖子ちゃんカットの「1980」蒼井優のほうが可愛い。と思えてしまうのは、完全に80年代回顧浮かれモードにはまってしまったな。
 しかし、これほど、素直に回顧モードに突入できるのは、この作品が、1980年を(80年代はじまりの年を)実に暖かく描いているからだ。80年代なんて何も無かったと切り捨てもしないし、“恥ずかしい時代80年代”と卑下もしていないし(まっ恥ずかしいといったら、思い出したら若気のいたりで、恥ずかしいことばかりやっていたような気がするが)、愛情を込めて、80年代の喧騒とナイーブさを描いているからだ。
 そして、また本作は単純な80年代回顧趣味映画ではなくて、80年代を経験していない人も楽しむ事ができる普遍的な青春映画に十分なっていると思う。そして、何より、ここで描かれる80年代は、それから20年後の21世紀の今へとしっかりとつながっているのである。 衣笠が冒頭“今、核戦争が起こったら、お前らなんか真っ先に死んじゃうんだぞ”というセリフを失礼な女子高生の背中になげかけるんだけど、これって、当時良く、核戦争後の世界といったものが小劇場の芝居のモチーフになっていたことを思い出させ、過激なものといえば、核戦争しか思いつかないのかよ、と私はそれを幼稚だなと受け止めていた。世の中にはそんな荒唐無稽なことより、もっと大事なものがあるだろうというのが、当時の自分の考え方だった。ところか、今や、北朝鮮の核問題を始め、理不尽なイラク戦争など、けっして絵空ごとでない驚異になっていて、、80年代に小劇場が描いた近未来象がまさに正しい予告(いや、ほんとに正しくなってもらったら困るんだけどさ)になってしまっているのだ。そのことを承知して、監督は衣笠にこの発言をさせたのに違いない。また、二女のともさかりえの元マネージャー役の田口トモロヲが“松田聖子もどこまでこの人気が続くことやら、山口百恵もあと、数年したら離婚すると思うんだよね」と言うんだけど、ご存知のように二人とも現在でも世代を超えて愛されている存在だし、ともさかが、ラスト近く、占いで“20年後はもっといい世界になっている”と言われたことを姉妹に語ってみせる場面では、ちょっと複雑な思いが頭をよぎった。1980年を描いた映画を観ながら、この20年間の時代の流れをしっかりと感じさせられていたのだ。
 ところで、「1980」を観て、浮かれている時に、ほんとうに偶然にもこのサイトに私ではないかと、学生時代の映研仲間の一人のY氏がコンタクトをとってきてくれた。いやあ、このタイミングは凄い。およそ20年ぶり。彼も今もばんばん映画を観て活躍中のようだ。懐かしくて嬉しかったのは、勿論なのだが、ちょっと恥ずかしくもあり。だってさあ、後藤ヲタやってるのがばれてるし。
 いやあ〜、もしかしたら、「1980」という作品は、80年代の喧騒の日々を過ごした私のような人間が、21世紀になって、劇中でともさかりえが叫んでいた言葉“大人になったからって、大人になれないのよ!”を噛みしめるための映画だったのかもしれない。