小津安二郎

本日は小津の生誕100年にあたる日だ。私、後藤ヲタになる前は、実は小津ヲタだったのだ。小津から後藤へ、いったいどうめぐったら結びつくのか非常に謎なのだが、このことは今回は置いておいて、小津ヲタだった時についての思い出などをしたためたいと思う。
 やっていたことは今とあまりかわらない。小津作品は学生時代にテレビ等で、チラチラ観てはいて、特に面白いとも思わなかったのだが、1997年あたりから日本映画に関心が行き始め、久しぶりに小津でもみてみるか、と「秋刀魚の味」という作品を借りてきたら、コレが面白かった。で、次々とビデオを借りてきて、レンタルビデオとして置かれていない「小早川家の秋」とか「宗方姉妹」といった作品は、東宝のキネマ倶楽部というところから一本一万円近く出して通販で買ったりしていた。それプラス小津関係の書籍も夢中になって買いあさった。古本屋を覗いたり、目録もとりよせて注文もしていたっけ。いろいろ集めたけど一番面白いと思ったのは「東京人」の’97年の9月号の「特集小津安二郎〜汲めど尽きぬ映画の泉」という雑誌。今年出た「東京人」小津特集号は買うには買ったが、まだあまり読めていない。
 小津安二郎というと非常に日本的な古風な作品をイメージしがちだけれど、実際は非常に進歩的な作品なのだ。例えば、家族の問題一つにとっても、一人一人がとても自立しているし、男女間や、世代間の差別意識とか、古い因襲などからとても自由だと思う。
 先日、さんまの「恋のから騒ぎ」を見ていたのだが、出演している女の子の一人が、付き合っていた男性から「女だから飯を作るのはあたりまえ」といった発言をされ、「男も女も仕事をする時代なのに、昭和初期のころのようなことを言われていやだったという発言をしていた。それに対して、他の女子は、「女だからこうしろ、ああしろ」といわれるのは嬉しいと言って、結局、最初に発言した女の子だけが、はみごになってしまった。今の若い子って、自分達のセックスライフに対してはあけっぴろげなのに、フェミニスト的なことには、慎重っていうか、そんなこと言ってたらもてないのか、保守的なのね。 
 そんな実情の中、小津作品というのは、私にとって、ある意味理想の世界であったりするのだ。