「キューティー・ブロンド ハッピーMAX」(ねたばれしまくり)

ちょっとばかし期待はずれだった。前作との差は、脚本家の力量の違いによるものが大きいと思う。前作「キューティー・ブロンド」は、「恋のからさわぎ」でデビューを飾ったカレン・マックラー・ラッツとキルステン・スミスの女流脚本家コンビ。この二人が2作目も手掛けてくれていたらなとちょっと悔やまれる。
 前作はブロンドで、ブランド大好きのキャピキャピギャル(死語?)のエルが、政治家志望の恋人に「ブロンドすぎる」という理由で振られてしまう。遊ぶのにはいいけど政治家の妻にはふさわしくないということらしい。失意のエルはそれでも持ち前のポジティブさで恋人を追ってハーバード・ロー・スクールに進学。しかし、そこでの彼女はあまりにも場違い。恋人にも相手にされず、うきまくるエルだが、弁護士めざして猛勉強し“自分らしさ”を貫きながら偏見のない純真な性格でチャンスをつかんでいくサクセスストーリー。ロー・スクールのインテリどもが持っていないブロンドならではの知恵を駆使し、成功を収めていく様は痛快! 
 で、「ハッピーMAX」の方なのだが、こちらは、愛犬の母犬が化粧品会社の実験用にされていることを知って救い出すため、持ち前のポジティブさと人をひきつける素直さと“ブロンドぶり”で政治の世界へ進出。頭の固い政治家をときふせて、動物保護の法案を通過させるというサクセスストーリー。前作のディテールなどはそのまま使われている。
 “法学”には、“政治学”と“法律学”があるらしいけど、2作目がいまいち物足りなかった原因は、“政治”ってものに魅力がないことが考えられる。更に、エルが政治家たちの前で、演説をして彼等を説得しようとするところで、“お前はMr.ディーズか”と思ってしまった。「Mr.ディーズ」−アダム・サンドラーが演じた純粋無垢な青年が人をときふせるシーンがあるんだけど、それがまた、こんなことでみんなが納得するんかい!という甘甘な内容なわけで。でもそれはアダム・サンドラーだからこそ成り立つ世界で、彼だからこそ許される展開で合ったりするわけだ。
 この「Mr.ディーズ」を連想したのはあながち間違いじゃなくて、「ハッピーMAX」のパンフレットには、“フランク・キャプラ往年の名作「スミス都へ行く」の精神を継ぐヒューマンな演出”と「ハッピーMAX」について、評しているのだけど、この「スミス都へ行く」をリメイクした作品こそが、「Mr.ディーズ」なのだ。「スミス〜」は恥ずかしながら未見なのだが、このMr.ディーズは、「無垢」の象徴であって、その清らかな純真そのものの「無垢」が人を感動させる、というもの。
 一方の「ハッピーMAX」のエルも人を悪く思わない純真な性格なのだが、この設定の面白さは、いわゆる法律家や、政治家といった「専門バカ」にたいして、俗世間の幅広い知識と人脈を駆使した一女性の知恵があっといわせるところにあったのだから、「無垢」に頼りすぎの本作の展開に物足りなさを感じずにはいられないのである。