後藤真希と北野映画

私は以前、といっても2002年ごろに遡るのだが、「モーニング娘。北野映画」の法則というのを発見した。ほとんど誰にも知られることなく終わったこの法則だが、急に今になって蒸し返したくなったので、文章の続きがどうなるか検討もつかないが、このことについて記述したいと思う。
私がこの法則に気づくにいたったのは、2002年7月初旬、7月24日に発売を控えたモーニング娘。の新曲「Do it! Now」をネット上で聴いた時である。何度も聴いていくうちにじわじわと印象が良くなるその曲は、ここしばらく続いた娘。楽曲に比べると、地味ともいえるし、オーソドックスともいえるものであった。この曲の娘。楽曲での位置は、北野武映画でいうところの「菊次郎の夏」にあたるのではないか?私はびび〜んと閃いたのであった。つまり、北野武は「HANA-BI」と「BROTHER」の間に一見(あくまでも一見だが)オーソドックスな映画「菊次郎の夏」をはさむことによって、自己のイメージにワンクッション置き、次に進んだ。「Do it! Now」は、これまで続いたある意味テーマパーク的な歌を一度リセットさせることで、その次をみている歌なのではないか?
 実際のところ、その次にきた「ここにいるぜぇ!」は、北野映画における「BROTHER」に例えてみてもおかしくない威勢のいい楽曲であった。そこに後藤真希がいないということが、後藤ヲタの私にとっては一抹の寂しさを感じさせるものであったけれど。
 さて、同じことが、後藤真希の曲にもあてはまるのである。
後藤の1st、2ndの「愛のバカやろう」「溢れちゃう・・・・BE IN LOVE」は北野映画における監督デビュー作「その男凶暴につき」であり、「3−4×10月」または、「ソナチネ」である。後藤真希=おとなっぽい(あるいは不良っぽい?)というイメージを最大限に考慮したこの1,2、作は、北野映画のバイオレンス路線を築いた1,2、(4)作と「王道」という点で一致する。そして、次の後藤の3rd「手を握って歩きたい」は、北野監督の「みんな〜やってるか!」にあたるのだ!北野監督の3作目’91年作品「あの夏いちばん静かな海」と比較してもいいのだが、インパクトの強さという点では、「手握」は、発表当時、「みんな〜」に匹敵するほどの衝撃作であった。 あの可憐な“ももゴマ”(byす一さん)をあの下品な蝿男と一緒にするなんて〜!と怒られそうだが、“固定化されたイメージが一人で走っていくのを恐れた”(by森昌行/オフィス北野代表)北野武が、あえて作り上げた映画が、「みんな〜やってるか!」であって、その作品の立ち位置は、後藤真希における「手握」にそっくりである。“ゴマキ”イメージを見事に“ごっちん”イメージに転換せしめた。ただ、どちらも、あまりにもイメージが過去作品とかけ離れていたので、発表当時は、物議をかもし、後から再評価されることとなる。
 その後の展開は、後藤「やる気! It's EAZY」(モーニング娘。在籍最後のソロ曲。であり、同時に本格的ソロへの転換となる曲)=北野「キッズ・リターン」(バイク事故後の復帰作品で新たな展開を迎える作品)、後藤「うわさのSEXY GUY」(本格的ソロとしての事実上の第一作)=北野「HANA-BI」(完全復活の一作。ベネチア映画祭グランプリ受賞作)、「スクランブル」=「菊次郎の夏」(ラスト少年が駆けてくるシーンに「スクランブル」を流してみたい)、「抱いてよ!Please go on」=「BROTHER」(これはイメージ的にぴったりだ)、「原色GAL派手にいくべ!」=「Dolls」(この作品は、非常に赤色を強調したまさに原色映画であった)、「サヨナラのLOVE SONG」=「座頭市」(後藤シングルとしては初のバラード、そして北野映画初の時代劇)。
どうですか、見事に法則がなりたっているでしょう?(笑)
 楽曲に関してよく「後藤真希は迷走している」という声を聞くが、このように、実は意外と考えて展開されているのである。このあたりのことを北野武は、「文学界」2005年6月号での蓮實 重彦によるインタビューの中で「梯子のかけかえ」と語っているが*1一方でつんく♂は「モーニング娘。×つんく♂2」の中で、後藤真希について、「『手を握って歩きたい』みたいなものもあれば、最近のちょっとメロウな路線もあって。右にも左にも大きく振り続けてきた自負はあるんで、鮮度という意味では心配ないです」と語っていて、これはほぼ同じ意味合いを含んでいると推察される。
 ただ、「座頭市」以後、北野武は映画を撮っておらず、この後藤真希楽曲=北野映画の法則は既に崩壊してしまっている。さらにハロプロのソロ組によるバラード系のスローなナンバーのリリースが続いているという現在、7月6日にリリースを予定している後藤の新曲が、バラードの「王道」であるらしいという情報にはいささか拍子抜けの感をいなめない。相変わらず、リリースラッシュが続いているハロプロ楽曲だが、、次はどんな曲かなというわくわく感がなくなってきているのは、この法則が崩壊してしまっていることが大きな原因に思われる。
しかし、今回、後藤の新曲にはやはり期待しないわけにはいかない。
7/6(水)リリース

13thシングル

スッピンと涙。

 作詞:つんく 作曲:KAN 編曲:鈴木俊介

C/W「もしも終わりがあるのなら」

 作詞・作曲:つんく 編曲:AKIRA

¥1050 ピッコロタウン
まず、このタイトル、これを見て「スワンの涙」を連想した人は、多分私だけだろう(古っ!)。それは冗談として、なにげに素敵なタイトルではないか。作詞:つんく作曲:KAN編曲:鈴木俊介と役者も揃った。鈴木俊介といえば、「手を握って歩きたい Album Ver.」を真っ先に思い出す。あの出だしのちょっとJAZZっぽい感じのピアノ演奏を聴いてみたい気もする。
ところで、先ほど、ハロプロ楽曲の昨今について印象を述べたが、後藤真希にとっては、久しぶり(約8ヶ月ぶり)のシングルだ。これはある意味、北野映画の「座頭市」以後のブランクと似ていないか!? 久しぶりの法則となるのか!実に楽しみである。

*1:「要するに、テレビ番組というのは、自分がそろそろそれに飽きた頃に一番人気がでるものなのです。その時に『梯子をかけかえ』ない番組は必ず落ちていく。だから、観客から絶頂だといわれる時に、自分はもう飽きた状態になっていなければならない。その時かなり先を走っていないとダメになります。映画を撮っていても、そのことはたえず意識してます。」(「文学界」6月号、北野武インタビューより)