「世界の中心で、愛をさけぶ」

もうさんざんいろんな方が語っていらっしゃると思うので、2番せんじなことしかかけないと思いますが観た映画は全て感想を書くという課題を自分に与えているので、とにかくなんか書いとこうと思います(5作ほどたまってきている・・・)。
一応この映画のヒロインは、柴咲コウというふうに公開前は認識されていたように思うのですが、ふたを開けてみると、完全に長澤まさみによる長澤まさみのための映画となっていました。彼女のデビュー作というと、「クロスファイアー」でしょうか? 正直その頃の自分の彼女に対する評価は、「東宝シンデレラグランプリ」を与えてしまったために、使わなくちゃしょうがないおかかえもの、みたいなものでした(めちゃひどいですね。ファンのかたごめんなさい)。そんな彼女を、お、ちょっとかわいいかもと思わせたのは、塩田監督のとんでも映画「黄泉がえり」でした。何か阻害感を持っている少女の役で、蘇って来た市原君に手をさしのべるというやや暗めの役でした。かわいいのはかわいいけど、でも、なんだかしっくりこないなあというのが当時の感想でした。次に長澤まさみを意識したのは、「ロボコン」です。作品自体は大好きで、昨年度の個人的邦画ベスト3に入る傑作でした。長澤まさみも生き生きとしたかわいらしさと、意外と大胆な性格を(パンフに書いてあったことの受け売り)披露していました。しかし、これまた何か違うという違和感がありました。
 そして、「世界の〜」を観たとき、行定勲監督の描く、美しくもノスタルジックな世界に魅せられながら、そこに描き出される長澤まさみを見て、こ、これだ〜と思わず拳を握り締めました。凛としていて、勉強もスポーツも出来、顔もかわいくて性格もつんけんしていない気さくな女の子、清潔感に溢れ、正義感があり、ユーモアもあわせもっている、いわば完璧な女の子。かつて学年に一人はいた(居たような気がするだけか?)完璧な女の子がこれほど、彼女にぴったりくるとは! そう、これまでどこか違和感を感じたのは、そんな完璧な女子が似合う彼女に影のある役ばかりやらせていたからなのです。「世界の中心〜」より後でみた「深呼吸の必要」も同様です。「ロボコン」は、“落ちこぼれ”というキャラクターが、も一つ相応しくなかったのです。逆にいえば、これほど、高校時代の完璧なヒロインが似合っているのは、長澤まさみしかいないというくらい、この映画での彼女は素晴らしいのです! 文藝の『行定勲』特集を買ったときに、掲載されていた2枚のスチール写真。制服姿の長澤と、森山未來の二人のショットをとらえたものでしたが、それを見ただけで、私はこの映画が傑作だと直感しました。そして、実際、高校時代の二人が、供に画面にあらわれ、笑ったり、走ったり、バイクに乗ったりするシーンの甘美さはどうでしょう! 朔太郎の足どりが、大人時代から高校生に変わった瞬間から自分は泣けて泣けてしょうがなかった。原作はとうの昔に読んでいたので、最初は、この幸せが、病気で奪われてしまうことへの悲しみを思って自分は泣いているのかと思ったけれど、懐かしい時代の郷愁への涙だったのだと今では思います。決して、こんな甘い高校時代をすごしたわけでもないのに、湧き上がってくるノスタルジーにどうしようもなくたち震えたのだと。
 映画「世界の中心で、愛をさけぶ」は、愛しい人を失った悲しみをいかにのりこえ人は生きていくのかというテーマを描きたくて作った映画だと思います。でもその点では、まったく成功したとはいえません。しかし、あの懐かしい、一時代を思い出して、今の立ち止まっている場所から、そっと立ち上がる物語として、この映画は心に刻まれるものになっていました。写真館のある風景のセットがまるで西部劇のセットのようで、山崎努が、酒場の親父のように描かれているのは、作り手も当然、その点を意識していたのではないでしょうか?