「25時」(ねたばれあり)

ずっと前に見たのに感想を書きそびれていた。もう公開終わってますね。
 映画の途中、映画の登場人物たちとともに、私はその場所を覗き込んでいた。そしてしばらく、映画を観てるんだということを忘れて、そこで作業している人々に思いを馳せた。さぞかし空気悪いだろう、この人たち、体の管理は大丈夫なのか・・・。バリー・ペッパーフィリップ・シーモア・ホフマンが、高層マンションの上から“9.11”にテロで破壊された世界貿易センターの跡地を眺めるシーンだ。
 この映画事態は、直接“9.11”に関係するものではない。25時とは、麻薬のディーラーをしていたモンティーエドワード・ノートン)が、罪にとわれ収監されるまでの残された時間。彼のようなハンサムな男だと、刑務所に入れられれば、女役をやらされて身も心もずたずたになるだろう、彼に残された道は、収監されて7年間の地獄をみること(生きて帰れるかもわからない)、一生涯逃亡者になること、自殺すること。残された25時間、まず彼は、飼い犬の新しい主人を探し、麻薬の元締めと話をつけ、恋人との別れを惜しみ、父親を励まし、友人に最後の頼みをしなくてはならない。この男は、麻薬で多くの人々を廃人にしたやつだから裁かれて当然なのだが、映画は、冒頭で瀕死の犬をこの男が助けるところから始まり、観客はいやがおうにもこの男に好感をよせてしまう。ゆえに、彼の苦しみや、彼をとりまく人々の思いがダイレクトに我々にも伝わってくるというしかけになっている。
 パンフレットには、今のニューヨークを描くのなら、“9.11”を避けては通れないから跡地の映像を入れたというようなことが書いてあったけれど、むしろ、この原作の映画化権をとったときは、まだ“9.11”は、起こっていなかったとしても、制作する際は、物語の展開と“9.11”を積極的に絡めていったのではないかと思える。人生の終わりが突然やってくること、いくら後悔しても取り返しのつかないこと、それがモンティーのみならず、残される周りの人間に大きな波紋を残すこと。例えば、いけないとわかっていて、モンティにも再三注意はしてきたとはいうものの、悪事によって得られる富にあぐらをかいてしまっていた恋人(ロザリオ・ドースン)。親友という立場でありながら、忠告をしなかった男(バリー・ペッパー)。自分のせいで息子を悪の道にむかわせてしまったと後悔する年老いた父・・・。非常に丁寧な演出で彼らの苦悩が浮かび上がる。
 中で面白いのが、モンティの友人役のフィリップ・シーモア・ホフマンだ。彼はどこか能天気というかことの重要性をいまいち判っていない。さえない高校教師の彼は、派手目の女子高生に色目を使われて、もう陥落寸前。モンティを前にしても自分のことで頭がいっぱい。あげくに女子高生にキスしてしまい(で、この女子高生が実は意外にうぶという展開)、破滅だとおろおろやっている。最初から、こうなるのみえみえ。若い女の子に誘惑されて本気になる中年男として、スティーヴ・ブシェミ(「ゴーストワールド」)と双璧をなす。
 モンティが鏡に向かって、ニューヨークに住む異人種たちを罵倒するシーンとか、クラブシーンなどは、実にシャープ!
 さらにモンティが刑務所行きの車に乗り込んでから延々と続く未来への希望的観測とラストショットのコントラスト。深いため息をつかずにはいられなかった。