「トップランナー/行定勲監督」(NHK教育テレビ)書き起こし。

行定監督、話上手。面白かったので、書き起こしてみた。最初の15分は間違ってNHK総合のほうをつけていたので、15分過ぎの田中麗奈のコメントから。
田中麗奈“私が(「きょうのできごと」で)演じた女の子は真紀ちゃんって役なんだけど、真紀ちゃんでいよう、真紀ちゃんとして一日をちゃんとすごそうという、それが私にとって一番で、なんか、とにかくなりきることが一番大事なんじゃないかっていう。行定さんも質問されることを全然なんかめんどくさいなあとか、その思わずに、とことんお話をしてもらえたり、次の日もさっきちょっと考えたんだけどさ、とか何時間たっても、私が質問したことを考えてくれたりとかするから、それが凄く嬉しかったです。
 行定さんは基本的にずーっとしゃべってますね。止まらない。で、そのしゃべってる時にやっぱりそのいろんなこと発見してるんじゃないですか? いろんな人としゃべって、スタッフの人ほとんどしゃべってるんじゃないですか。現場の。しゃべりながら、会話しながら、いろんなことを発見したりとか、今度こうしようとか、なんか考えてるんですよね。きっと。なので、行定さんとこ行くと、会話の輪が広がっている感じっていうイメージがあって。うん。”
司会:(「きょうのできごと」について)事件が起きない。ちょっとふれてるか、ふれてないかぐらいの絡み方、主人公たちが、それは意図して?
行定監督:例えば、ある映画の脚本書いて、プロデューサーと話をして、この脚本が長いからどっかをカットしなきゃいけません。例えば、朝起きて、おはよう、今日何食べる? いつ帰ってくる? いってきます、 この段取りはいらないでしょう。もう皆知っているから。いきなり会社へ行っているとこから始めましょう。という風に、飛ばされるんです。確かにそれは、映画に、体制に何の影響もない、取るに足らないことなんですね。そのとるに足らないことだらけの映画を作ったら、プロデューサー、どこも切れないんじゃないかと思ったんですよね(笑)。それで、面白かったら、なんて、僕たちが生活している一日っていう日常は、豊かなんだ、こんな豊かなことはないじゃん、これ僕たち、毎日積み重ねているんだよね、そんなテロが起こったり、戦争が起こったりっていうことばかり、毎日気にして生きてないよね。もっと自分たちの足元を見ようよっていう気持ちがどっかにあったんですね。日本の映画って従来そういうことをやってたじゃん。それをパッと思った時に、小津安二郎監督とかを思い出すわけですね。
 今では山田洋次さんとかも思い出す。寅さんがいつものように毎年帰ってくるわけですよ。寅さんの悪口を言ってたら、寅が俺はここにいるよって叩かれるっていう、おきまりなんだけど、彼らの日常はそこにあるんですね。どういう飯食ってて、飯食いながら、皆で何があったんでいと、なんかほんと些細なことで人間関係を話す、これて観てて滑稽だし、面白いし、でも凄い僕は豊かに見える。そういうのを日本映画ってやっぱり企画の段階ではずされていく。もっと派手なものになっていく。で、派手になりすぎて、でも予算はハリウッドに到底かなわない。それが歪になったような気がしたんですよ。ずっとそれは思って、これはもうへたすれば、半年、一週間後には忘れてしまっているような一日の話し、それが何か観客の人にああなんかこんな忘れてしまうような日常が立ち止まって映画を観て、あ、自分の日常がもっと豊かに少しでもなるんだったら、豊かなんだと認識ができるんだったら、映画が伝える意味があるかなというふうにどっかで思ってるんですね。それを作るまで2年かかりましたけど。説得するのに、いろんなプロデューサーにあって、今回のプロデューサーに出会うまでに2年かかった。
司会:若者を描くときに意識していることは?
行定:彼らの発言を、なんか撮影していくと、だんだんだんだん自分の感情がめばえてくるから言いにくいじゃないですか。なにげに。どう?と会話している間にその言ってることをなるべく汲み取ろうと思う。結果、切るかもしれないけども。それを汲み取った結果、先が見えてくるので、多分、それを描いてあげないと、彼はその先が出てこない。きっと僕が望んでいるものが。だとしたら、いっこ手前を描こう、それをなるべく探そうと思う。それが、なくていいのよ、お前これだけやってろってなってしまうと、きっと生きてこない。若者ではない、老成しているもの、達観して見てる、その役をやってるだけってものになると思ってしまう。カメラの向こうとこっち側っていうのがあるんだけど、でも同じ空気にいるんですよね。映画を作っている時って。それがなんか凄く一つになっているかどうかっていうのが、凄く大切なんですよ。俳優の中に、ある意味の現場の緊張感っていうものが、ものだけではない、作り方もあるかなっていう、緊張感は緊張感であるんだけど、あんまり僕の現場で緊張感って自分自身が緊張するのいやなんで、はりつめた空気っていうのは、なるべく緩和させたい。むしろ、俳優たちが醸し出す緊張感でスタッフが緊張するっていうことを俳優たちが作ってくれるのが一番いい。こっちが抑圧して俳優に緊張感を持たせるんじゃない。俳優が持ってる緊張感が一番緊張するんです。この芝居は絶対ミスしちゃいかんぞ、俺たちが撮影する上で、このテスト一回やって、次はもう撮りたい、とこの時間はあけないで、すぐ本番行きたいんだっていう緊張感が走るんですよね。今、一番いいんだっていう瞬間ってあるでしょう。それをなるべく撮ってあげられるかどうか、それをもうずっと模索していますね。
司会:映画を撮ろうとしたきっかけ
行定:最初作ったのが、中学のころですね。中学一年の時に身長170センチくらいあるクラスで背が高い長谷川君っていうハセの家にね、ホームビデオが来たんですよ。お金持ちだったんですね。僕と杉浦くんて友だちで、いいな、ホームビデオ、それで映画撮らないか? 杉浦くんはブルース・リーファンです。僕とハセはジャッキー・チェンの映画が好きなんですね。カンフー映画を作るしかないな(笑)。で、カンフー映画を作ったんですけどね。誰かの妹が捕らわれているんですね。遊びたいんだけど、お兄ちゃん遊びにいかせてみたいな、お前あそこにいろ、二階のベランダかなんかに捕らわれているかんじでいて、杉浦くんは、ブルース・リーの真似が出来るんで、ブルース・リーの役。僕はカメラを回す。長谷川くんは敵なんですね。杉浦くんはかっこよく門柱を飛び越えて戦い始めるんですね。でも何かが足りない、笑いがない。なんか考えなきゃと思って、街路樹の下に植えてあるパンジーを盗んできて、門柱の下にパンジーを植えて、飛び越えた時に杉浦くんがそれを踏むと、大切にしていたんですね、ハセは、これを。俺の花になにをするんだという、よくジャッキー・チェンの映画で理不尽な理由で急に怒り始めだしたりするというのを引用させてもらって、みんなに反対されたんだけど、俺はパンジーにこだわりたいってそれが最初ですね。
●行定監督の過去のオリジナルビデオ「PRECIOUS MEMORY」の紹介。津田寛治が出ている。高校時代にかきあげた物語が原案。
●favorite5のコーナー。行定監督が繰り返して読んでいる本ベスト5
一位タルコフスキー日記/アンドレイ・タルコフスキー
ニ位終わり始まり/ヴィスクヴァ・シンボルスカ(詩集)
三位僕が電話をかけている場所/レイモンド・カーバ
四位君のいる場所/ジミー(絵本)
五位BETWEEN PLACES/ウタ・バース
行定:アンドレイ・タルコフスキーっていう、もうなんですかね、奇跡が映画に撮れてるとしたら、この人の映画だろうと思うくらい、とにかく足元にもおよばない、僕らが多分知っている映画の中では至上のものとしか思えない映像詩を撮られる監督なんですけど、びっくりするのは、ほんとにこの人は天才監督なんです。世界中でこの人を尊敬している人がたくさんいる監督なんだけども、最初のページのほうで、“次はドストエフスキーについてまた話した。ドストエフスキーのシナリオを書くのが先だ。演出のことはまだ考えるべきではない”とまじめなことを書いているあとに、“契約がうまくいけばだが、家のことでやらなければいけないことを書いておく①屋根の葺き替え②床板全部張り替え、③窓を二重にするところ一箇所④物置の屋根の瓦を葺く⑤スチーム暖房にする”って切実なんですよ。ということは、この世のものとは思えない映画を撮っている監督が、日常ではものすごく切実に生きている。子どもが生まれた、誰も祝ってはくれない、みんな冷たい、でもかわいいと書いてある。これどういうこと?っていう俺が祝ってあげたかったですね。何度も思った。落ち込んだ時にこれを読むとね、俺の落ち込み方は、まだ甘いなと。だって、雨露をしのげる屋根もあるわけだし、それで、こんな些細なことでなんかプロデューサーにこれ苦しい、ちょっとカットしてくれる?いやカットしたくないって言っている以上のことを言われて、映画やめてくれる?って言われても撮らないといけないと思ってる彼の姿を見てると、勇気さえ湧いてくるんですよね。確かにこれは「アンネの日記」かこれかっていうくらい切実。
●jamのコーナー 観覧者の質問に応える
“今度一緒に仕事したい人”
行定:岩松了さん。岩松さんの戯曲というか、脚本で、なにかとってみたい。鐘下辰男さんとか。彼らの作品が、なんかこう、自分の中で、新しい発見があったりすることを望んでいると思うんですね。小説家もたくさんいますし。
“映画監督として日々心掛けていること”
行定:メモすること。街の中で、面白い事が起こるわけですね。他人に。基本的にはウオークマンもせず、本も読まないで、電車に乗ってて、他人を観察してる、盗み見している、そうすると非常に面白いことが起こるんですよ。それを映画の中に入れる。ホームでおばあちゃんの前で、子どもがアン、ドゥ、トロアを言って、踊ってる。おばあちゃんの前でポーズきめたら、おばあちゃんが拍手している、孫に。その姿が美しかったんですね。ずーとやってる。電車が来るまで。それを記憶しといて、「贅沢な骨」の中で、永瀬君の前でアン・ドゥ・トロアってやってる女の子が出てくるとか、そういう、なんか日常からもらったヒント、そういうのをなるべく記憶するためにメモする。それは心掛けてはいますけど。
司会:監督は原作者に評判がいい。どういうふうにシナリオを作っているんですか?
行定:原作が好きじゃなければ、映画にしないですよね。今のところは。そんな好きじゃないなって思うものを、映画にしなきゃいけないときが来るかもしれない。その時はもしかしたら、けんかもあるかもしれない。けんかっていうか、だからこうしたんだ・・。ただ、原作の良さはあるわけですよ。僕より先に原作者がなんか訴えたいっことっていうのがある、これだけは絶対曲げたくないという気持ちが強くある。だから、そういう意味では、かせがあった方が、もしかしたら、映画ってシェイプされるっていうか、自由だったら何でも描けるんだけどもある種このかせの中で、いかに自分が映画を作っていくか、これが自分の人生の中や人生観の中になくても、あるものとして、僕はこう発見しなきゃいけない。ある種、それに触れた時に、自分の新しい何か感じようとか、自分の新しい一面、側面みたいなものが発見されると、発見されてはじめてその映画を演出できると思ってるわけですよ。だから、この原作わかんねえよなあということで、例えば自分の行き方とか、思想みたいなものを曲げてしまってはその原作をする意味がない、その原作をやらなきゃよかったんじゃないっていう・・・。だから、僕の解釈の感想文みたいなのが、シナリオなんですよ。それを原作者とまず話して、原作者に承諾を得る。曲げてでも原作者がクリアできるものをもう一回作り直す。シナリオで。そうでなければ、この原作を作る意味がない、利用しているだけ、って思ってるからだと思いますけどね。
司会:スタッフワークで気をかけていることは?
行定:カット割りはしてないんで、寧ろカット割りは描くんだけど、アイデアとして、絵コンテっていう、それはなんで描くのかというと、スタッフにそれを越えてもらいたいからなんですよね。所詮、僕がシナリオ上で考えていたのはこんなくらいの絵なんですよね、所詮ですよ。それをこの通り撮りたくないんです。で、お芝居を演出している間に彼らが、いや、こう描いてはいるけど、こっちから撮った方が面白いんじゃないかっていう時、発見があるんですね。それがカメラマンの視点じゃないですか。そのカメラマンの視点をいかす、じゃなきゃこのカメラマンである意味がない、と僕は思うわけですよ。勿論自分も考えますよ。どっちがいいかとお互いに話あった時にどっちでもいいんですけどねっていうカメラマンだったら、もう僕は一緒にやる意味がない。いや、俺はこう思うんです、こっちがいいと思うんだよなっていう絵にやっぱり惹かれます。全部記録なんですね。この人とやったって言う意味がここに残っている。この人の痕跡がある、だから、最後にローリングで、長〜くスタッフロールがあるじゃないですか。みんな観ないで、帰っちゃうかもしれないけど、あの人たちがこの絵を作ったんだと刻印したいんですよ。この人たちが演じたんだっていうね。そのためにいかにそれを残せるか、痕跡を。まずは台本というものを、ある種、いい加減なもんです、台本は。多分予定としてはこういうもの、指針としてこういうものがあります。さあみんなこれを目指しましょう。そこにはまだ魂も何もはいってない。ここに息を入れてくれるのは俳優だし、魂を入れるのはカメラマンなのかもしれないし。
 結局あわせ技ですからね。でも、結果、映画の責任をとらなくちゃいけないのは、俺なんで、スタッフが恥ずかしくならないようなことをしなきゃいけないっていう。すき放題のことをお互いに言って、その結果、どこに落ち着くかっていうとこが面白い。俳優さんも同じなんですけどね。
(司会の二人、武田真治本上まなみさんがちょっと表情が硬すぎっていうか真面目すぎという印象でした。行定監督、中学時代の映画の話なんて、完全に笑わせにいってるのに)
あ〜しんど。書き起しはやっぱり後藤ラジオだけにしよう。にしても、後藤ラジオありませんな