「ルールズ・オブ・アトラクション」

80年代を代表する作家ブレット・イーストン・エリスの原作を「パルプフィクション」の脚本家、ロジャー・エイヴアリーが映像化した。アメリカ北東部、ニューイングランドアメリカ一学費が高い事で有名な芸術大学、カムデン・カレッジの学生が織り成す狂乱の学園生活。あるパーティーの日、主要キャラクターの一人シャニン・ソサモンのモノローグがすすみ、一つのエピソードが終わると、画面が逆回転していきある一部屋の場面に戻ってきて今度はイアン・サマーホルダーのエピソードが語られだす。彼がゲイだと思って誘った男から部屋をたたき出されると、再び画面が逆回転していき、あの部屋の場面に戻ってきて、今度はジェームズ・ヴァン・ダー・ビークのエピソードが綴られる。いつも戻ってくるその部屋で三人は、同席しているのだ。互いに接点のないように振る舞いつつ。そして、舞台は、パーティーの日の3日前へ。
 この非常に長い逆回転シーンが実に小気味よい。観ているものが’80年代にフラッシュバックしていくかのような気分が味わえるといってもいいかも。’80年代といえば、些細な事で自分が他人よりも優位だと思いたがった時代だったのではなかろうか、それは本当に些細なことで、例えば、阪急電鉄神戸線沿線(しかも普通列車対象)に住んでいることに極端に優越感をもったりとそんなばかげたことで本気だった時代。映画の中の裕福で恵まれた学生たちは、まさに自分達は選ばれた人間だとばかり破廉恥な大騒ぎを繰り返す。
 もっとも本作は’80年代の風俗映画にはなっていない。もっと普遍的な青春映画として、充分に楽しめる。思えば学生時代というのは、実に閉鎖的な社会だ。その狭い世界だけが、全てだ、と思ってしまっている。狭い視野で狭い交友関係で、狭い価値観をもって、そこで何かに失敗すれば全て終わりだと考えて生きている。
 ジェームズ・ヴアン・ダー・ビークは、ヤクザのような男から薬を買って自分は広い世界をしっているんだとばかりに大学内でそれらを売買して大人ぶっているのだが、個人ポストにいれられるラブレターに小躍りし、女にふられて発作的に自殺を図ろうとする子どもっぽいやつなのだ。 大学をとびだして、短期の欧州旅行をしているキップ・バルデューは、現地での触れ合いというのを楽しみながら、女性をナンパしまくっている俗物な奴。しかも、旅行行く前につきあってた彼女のこと完璧に忘れてしまってるし。
 おそらくこの、「学生時代の閉鎖性」っていうのは、時代がどんなに変わっても、価値観がどれほど変化したとしても、かわらないものなんじゃないかな。 最近見た「ケイティ」という作品も2000年代という今を舞台にしながら、その人間関係の閉鎖性は共通していたと思う。
 ところで、昨日「トリック」の最終回で、つぶやきシローが、アゴをぐっとひいて、ニヤと笑いながら、「タランティーノじゃないよ」といってたけど、あれは、自分の顔が、タランティーノに似てるってこと? それよりむしろ、この映画のジェームズ・ヴアン・ダー・ビークのほうにそっくりだよ。