アイドルと芥川賞作家。

―ではここで、年末恒例の“来年の目標”をお尋ねしたいのですが。やっぱし……。
「なし!」
―だよねー。
「なし、です。今までと同じように、やっぱり目標は作らないままでいたいです。一個、一個、目の前にあることを積み重ねていって、で、気がついたら……がーん、ハタチだぁ」(GiRLPOP VOL.71 2005年1月号)

これは『さよなら「友達にはなりなくないの」』リリース時の「ガールポップ」(休刊が惜しまれる)での能地さんによるごっちんインタビューの一部なのだが、このように、ごっちんは、“今後の抱負”だとか、“これからの目標”という質問を受けたときは、いつもこのように受け答えしている。
それは、最近でも変わっていなくて、つい最近発行されたばっかりの雑誌のインタビューで,“最後に夢を持つ読者にメッセージをお願いします”という質問に次のように応えている。

とにかく≪自由に自分らしく≫。わざわざ自分で自分に規則を決めちゃうといろいろなことに手をだせなくなっちゃうから気をつけて。(「月刊歌謡曲」 2006年7月号)


こういった言葉というのは、そこだけ読んでいると多少わかりにくい面があって、すぐに「夢」「抱負」「目標」という質問をしたがるマスコミの人にとっては、ある意味期待にそぐわない回答だといえのだけれども、ごっちんは、「進化しつづける」だとか、「上をめざす」という言葉は使っても、あえて、目標を言葉で表明しようとは決してしない。
で、つい最近、読んだ本のことをちょっと思い出して、その時は、わりとさらさらと読みながら、「ふ〜ん」「へ〜」「ほ〜」という反応で読んでいた部分をもう一度、熟読してみた。保坂和志の「途方にくれて、人生論」(草思社)の『「生きにくさ」という幸福』という文章だ。ここにその一部を引用してみる。

小説家になるために、毎月本を最低十冊読み、習作を毎日最低原稿用紙三枚ずつ書き……、などという風に自分を縛ってしまったら、その課題をクリアすることが目的化してしまって、本来の目標を見失ってしまう。私はここで「目標」という言葉を使ったが、人間というのは勤勉に出来ているから、本来の遠いところにある目標を、ふつうに言われる「目標」と同じに考えてしまうと、ついつい課題を立てたりして、現実的なプロセスを作ってしまいがちなのだ。


これって、これって、先ほど引用した、ごっちんの言葉に物凄く近いものがありませんかね〜??!!
さらに「途方にくれて、人生論」の引用を続けると、

しかし考えてみてほしい。課題を立てたその人はまだ何かを達成したことのない人なのだ。そういう人が設定した課題が正しく目標に到達するための課題であると言えるだろうか。一年前の自分が立てた課題に一年間縛られているとしたら、その人は一年間成長していないことにならないか? 未来というのが本当に未知の領域なら、「目標」という狭苦しい概念で規定してしまってはいけないのだ。
何か課題を設定して自分を縛ることは自分を楽にすることだ、ということに気がついてほしい。何も現実的な課題を設定せずに今の状態にどっぷり浸って、漠然としたことばかりを考える。この不安さ、不安定さは、小説にかぎらず、創作や表現にかかわることをしたい人は絶対に、何年間かは経験しておかなければならない状態だと思う。なにしろ、何かを創ったり、表現したりするかぎり、不安や不安定から逃れることはできないのだから。


ごっちんも同じように考えているんだろうなあと私はこの文章を読みながら、非常に納得してしまった。この保坂氏の言葉が、ごっちんが、目先の目標をたてないことを明快に解説してくれてはいないだろうか?
う〜〜む。恐るべし、後藤真希

( ´ Д `)<んぁ〜 なごっちん芥川賞作家と同じことを考えている後藤真希
これだから、後藤ヲタはやめられない!