『さよなら「友達にはなりたくないの」』

後藤真希12thシングル『さよなら「友達にはなりたくないの」』の初回版、シングルVは、勿論フラゲしました。Amazonで購入した分も昨日無事到着。なんだかばたばたしていたり、ちょっと風邪気味だったりで、まだゆっくりシングルVのほうをみる事ができていません。16日、17日の大阪出演番組もまだちゃんと観れてないんですが、CDのほうは、ヘビー・ローテーション中です。ちょこっと感想めいたことを書いておきますと、『さよなら「友達にはなりたくないの」』は、ごっちんの声をとても生かすことが出来る楽曲になってるということですね。私は以前から声に特徴のある人が好きでして、それは必ずしも美しく透き通った声じゃなくても良く、他にこんな声の人はいないだろうという声の持ち主が好きだったりするのですが、後藤真希の魅力がその声にもあることは誰もが認めるところでしょう。で、そんなごっちんの声を生かせてると初めて感じた楽曲は、実は、後浦なつみの『恋愛戦隊シツレンジャー』のC/W『LOVE LIKE CRAZY』のごっちんが歌うサビの部分だったりするのです。つい、こないだのことなんです。といっても、これまでの曲がごっちんの声を生かせてなかったということを言っているのではありません。此処に来て、後藤真希スキルアップ、感情表現の向上、成長が顕著に現れてきていて、実にいいタイミングで、その声の魅力をより伝えるような楽曲がめぐって来始めたという、まあ、それだけのことをいいたかっただけなんですが。いやあ〜、絶対ごっちん、表現力がついたよね。やはり、あの春コンの51公演で明らかに成長したよね。だいたいハロプロ系の作品は、CD音源にプラスして、PVや、テレビ露出、あるいは、ごっちんの場合は、コンサでその楽曲が徐々に練り上げられ最初にCD聴いた時よりも楽曲の評価がだんだんと上がってきたりするものなのですが、今回に関しては、この楽曲の完成度はこの段階で非常に高いものになっているように思います。心に響いてくる一曲になっております。正直泣けます(「そんな強い子じゃないから〜」のあのフレーズなど特に)。
で、それ以上にC/Wの『All My Love〜22世紀〜』が凄いんです。滅茶苦茶気に入っています。これに関しては、id:altonさんが全部語ってくださっているので(あのような素晴らしい表現は自分には出来ませんが)、ここではちょっとした雑文を書いておこうと思います。altonさんが、11月16日の日記で(id:alton:20041116)カーティス・メイフィールドの名前を出されているのを見て、思わず、よっしゃ〜みたいなガッツポーズをとってしまったのですが、実は、以前にごっちんのファーストコンサートツアーに関してこんなこと(本日、大阪厚生年金会館昼の部参戦!未だに興奮さめやらない。後藤真希は、カーティス・メイフィールドだ!いや、ちゃんとした音楽的根拠があって言ってる訳じゃなくてさ、先日観た「べッカムに恋して」で流れたC.メイフィールドの「ムーヴ・オン・アップ」とか、昔、東京まで観にいったC.メイフィールドのLIVEで受けた高揚感が、今回のごま春コンで受けたのと非常〜に似ているなって思っただけのことなんだけど。要はごっちんはソウルフルなんだよ!と。細くて、小さいのにこのみなぎるパワーはどうだ!)
を書いていました(「はてな」の前にやっていた日記。数人の友人以外は誰も見てなかったと思う)。altonさんと違ってなんら音楽的な根拠もなく、たまたま直前に見た映画に流れていた曲とかが重なっての印象(思いつき)で書いたものだったのですが、これもあながち見当ハズレではなかったかなと。
もっとも、私自身は後藤真希はほかの誰にも似ていない第2の〜とか平成の○○っていうのでは決して無い、「後藤真希オリジナル」な存在としてこれからも突き進んで欲しいと思っているので、ごっちんを誰かにあてはめるつもりはありません。でもごっちんワークスの中でいわゆるブラック・ミュージックを意味するところの「黒さ」が現れている部分には、そこいらのジャパニーズR&Bをけちらしてしまうような「粋」さがあると思うんですよね。例えば『Love Believe It!』のコンサートにおけるフェイク時のダンサーとの絡みのかっこよさは尋常じゃななかったですし。思えば、最初からオールスタンディングの大盛り上がりコンサートというスタイルは、昔良く観にいったブラック・ミュージックアーティストのコンサートに良く似ています(今のはどんなのかは全然知りませんが、80年代はそんな感じでした。勿論カーティス・メイフィールドの東京ライブ・インでのライブも最高でした!)。さらに言えば、先日観た映画「ロード・トゥー・メンフィス」(THE BLUES MOVIE PROJECT - A Musical Journeyの一本として公開されてる映画http://www.blues-movie.com/text/index.html)の黒人の人達が集まる教会の一シーンの熱狂振りがちょっとごまコンを想起させたり、なるほど、「宗教的」だなんて言われるわけだわいとか思ったりしたのですが。でもだからといって、それが閉鎖的だとは思わないんですけどね。最近のゴスペルブームなどを見れば・・いやいや、話がずれております。
全体から見たら、後藤真希ワークスに「黒さ」っていうのは、それほどめだって取り入れられているわけでもなく、AKIRAが編曲を担当した楽曲に見られるぐらいではあるのですが、なぜにこんなに昔見たBMアーティストたちを思い出させるのか?コンサート会場での支配能力っていうのが大きいのでしょうが、まず、やっぱり後藤真希がソウルフルだということなのではないかと思うのです。形とか見た目は違っても歌に対する姿勢っていうんでしょうかね、表現の仕方も違うんだけど、根っこで流れる精神というか、うまく表現できないのですが、歌が人生っていう部分の歓びだとか。そうしたものが、つんく♂に「めちゃいい色気」とか、「アーティストのリズム感がそのまま人生」という言葉を書かせることにつながってきているんじゃないかなあ!? 後藤の成長とつんく♂の言葉、なんかとても楽しげな展開が起こりそうな予感がしてきました。